日記

この記事の所要時間: 0 26

日記を書いていて思うことは本当に良かったと思うことも本当にひどかったと思うことも自分には書けないということだ。けれどそれは決して忘れることなく記憶に残ることがわかっているので焦ることがない。世界は不条理で納得が行かないことや思い通りにならないことで溢れている。誰にも平等とは言えない不公平な世界だ。けれどそれを認めて生きていく中でやっぱりこの世界が好きだという側面があることを忘れてはならないなと思った。適度に享楽主義者でいたいと思う。

土曜日の装丁

この記事の所要時間: 0 43

土曜日の装丁はシンプルだ。

金曜日の夜の心地よい時間の残像。あと一日しか無い休日の夜という感覚。

日曜日の夜はもう月曜日なんだということに気が付いたのはいつだったのだろう。

ちょっといいニュースが舞い込んできたり、ちょっと悪いニュースが舞い込んできたり。

いつもとちょっと違うように受け止めているのはきっと今日が土曜日だからだろう。

頭の半分は眠っている。たまにはいいよと思いながら気がつくと夜になっている。

半分眠っているから早く時が過ぎるんだろうなと思いながらビールをグラスに入れる。

暗すぎてもだめ、明るすぎてもだめ。いつもよりわがままな自分のリクエストにあう曲が見つからない。

あぱんだを聴く。

 

木曜日をきようびと読んだことがある

この記事の所要時間: 0 14

生きている中で足りないものはいつもある。見ないふりをしていたり諦めていたり。手に入ってから自分にはこれが足りなかったのだなと気が付いて満足できる人生のほうが幸せだなと思った。明日は金曜日らしい。金曜日はかねようびと読んでも良さそうな気がする。

週末月曜日

この記事の所要時間: 0 23

今日は何やら縁があってWeekEndばっかりの一日だった。

朝車のラジオからウィークエンドのコールアウトマイネームが流れてきて月曜日の朝からエロ過ぎる。オーストラリア人はやはり馬鹿なのだろうかと思う一日のスタート。ザゼンボーイズのWeekEndがプレイリストから流れた日にはもう週末だなこれはと思うしかなかった。

あと四日も経てば週末となる。今週は、ふひひ、ふひひと過ごしていきたいなと思う。

日曜日

この記事の所要時間: 0 6

信じられないことに明日は来る。こんなに酒はうまいのにおかしい。少し話を考えたりする時間ができた。よきかなよきかな。

土曜日

この記事の所要時間: 0 15

今日はなんだか良い一日だった。 昨日のことも書きたいのだけれどテキスト狂いの妄想なのでなんとも言えない。 こうやって頭の中から色々な記憶がこぼれ落ちていく。それでいいと思う。

Mediumで少し書き始めた。新しい事を始めるのは大変なこともあるが楽しい。

この記事の所要時間: 0 16

雨のち雨。早朝に起きてふと自分にとってのインターネットとは何かと考えた。

明確に答えは出たのだけれど説明するのは難しい。答えが出たということだけ忘れないでいられたらいいと思う。

たまに日記を書こう。書きたいことを書きたいように書ける場所を見つけようと思った。

 

頂きました

この記事の所要時間: 0 20

Shortnote.jpと言ういつも書いているところで賞を頂きました。

作品自体はこちらになります。

天使のバイト

 

第4回エッセイ大賞の結果発表! by ShortNote 運営チーム #ShortNote https://www.shortnote.jp/view/notes/AAKxhd56?sb=tw_fl

もしも注意報

この記事の所要時間: 2 43
「もしも」などという言葉のせいでAくんとBくんは何故か向かい合って、それぞれ時速数キロメートルで歩いたりしなければならなくなってしまった。もしものせいで余計な計算をしなければならなくなった子供達はめでたく算数嫌いになりヒャッハー。夏休みの宿題がなぜか最終日まで残る問題が発生する。なるほど、もしもという言葉は甚だ危険な言葉だ。もしもが無ければ「AくんとBくんが昨日会いました」だけで終わっていただろうに。
「もしも」という言葉には物事を複雑にし、考えることを放棄させるという不思議な性質があるのかも知れない。
 
 もうだいぶ昔のことなので忘れてしまったけれど、たしか「もしもは他の三文字の言葉と変えて良い」というありがたいお言葉がインドの経典に書かれていた筈だ。上から読んでも山本山、下から読んでももしも。やはり自分の記憶力はまだまだ大丈夫のようだ。
 
ーーもしもあの子ともしもしてたら。
こんな風に使えるところを見ると、この言葉は意外と便利なのかもしれない。大事なところをデリケートに守ってくれている。しかし最初にも言った通りこの言葉が非常に危険な言葉であることに変わりはないし、やはり使いこなすためにはもっと練習が必要だと思う。
 
「最近もしものことを考えると、辛くてなかなか起きられないんですよね。かと言ってもしもが無くなったら遊ぶもしもが無くなってしまいますし、大好きなベビースターも買えなくなって悲しくなってしまうじゃないですか。もしもを辞めても、もしもさえ銀行にたんまりあればいいんですけどね。ハハハ。」
 
 毎晩どこかの居酒屋で繰り広げられているようなこのトークもどこか間抜けな感じになってなかなか良い。
 
「最近もしもがもしもに向かってミサイルを発射するなどと不届きなことを繰り返しておりますが、大変ふてぇ野郎です。しかし、もしもでは戦争問題よりも芸能人のもしも問題の方がニュースとしては大々的に取り上げられております。まったくもしもはもしもですね。皆様におかれましてはもしもの際に備えてもしもの準備を忘れずに。」
 
 こうみるとどこか別の世界での事のように聞こえるから不思議だ。これはもうやみつきキャベツ。どうか本当にもしもであって欲しいと願ってしまう。どうでもいい事だけれど病み付きキャベツを漢字で書くと途端に食べる気が失せてしまうということに気が付いてしまった。このように人間は突然どうでもよい現実に引き戻されるなんてことが良くあるし、すぐに興は冷めてしまう。飽きる事は怖い。
 
「もしも・もしも・もしも by 村上もしも」たまにはもしもで踊ればいい。「もしも by もしも漱石」が疲れたら「もしも記念日 by もしも万智」みたいに静かに自分を見つめ直すというのもなかなかもしもな事かもしれない。
 
 正直なところ自分でも何を言っているのかよくわからない。いや、嘘だ。もしもには自分の一番逃げたい理想が詰まっている。頭の中がもしもで溢れている。もしも、もしもが溢れてしまったら人間は一体どうなってしまうのだろう。
 
「もしもは使用上の注意をよく読み用法用量を守って正しくお使いください」
 
 ふとつけたテレビに流れるテロップ。