仏僧物語

この記事の所要時間: 5 41

 男が座っている。
 齢は三十そこそこだろうか。まげの剃る部分、月代には生えかけの毛が目立ち無精髭も甚だしいため浪人風情に違いない。男は町の外れの道端の日陰で片膝を立て、じっと物思いに耽っていた

「誰かとまぐわいてぇ、つまりセクロスしてぇ」
 しかし住むところさえも無い男に残ったものは体のみ。残されたわずかばかりの金ではもう最期の食事を満足な物にすることさえままならなかった

「俺はこのまま死んでいくのか。もはや女とまぐわうことすら許されないのか。手元にもしも最後の三萬円、いや一〇匁でもあれば街で女を探して最後の一興をもって死ぬこともできるのに」
 だが男はそんな金など持っていない。

「しかし腹を切る気にすらなれん。というか腹が減った」
 突然湧き上がる生への欲求は男を地面に縛り付けていた無意味な妄想や怒りや諦めから解き放った。

「なにか食わねば。生き延びてぇ」
 男は少し朦朧とした頭で生き延びるための算段を始めた。無一文でも始められる商売を探そう。そうだジョブチェンジしよう。
 真っ先に思ったのは追い剝ぎだった。追い剝ぎだったら直ぐにでもできる。だが待てよ、そんなことをしたら即刻人相書きが回るに違いない。そして打ち首獄門の刑。マゲも切られた無残な姿で首だけ晒されるなんて恥だ、末代までの恥だ。ってそう言えば俺が末代になるのだったっけ、キングオブ末代、未来に子孫繁栄の予定なし。いや例え子や家族がいようともやっぱり打ち首は嫌だった。どーせ首なんてスッパリ綺麗に切れるはずない。迎える最期は地獄の苦しみに違いないのだ。
 男はそういえば自分は歌がうまかったと思い出した。よし、ここはいっちょ琵琶でも掻き鳴らしニューミュージックでもやってみようか。そしたら女にもモテるかも知れぬしヒモなんていう素敵な響きの職業にランクアップできるかもしれない。それこそ一石二鳥ではないか。しかし無理だった。そもそも琵琶を買う金なんて持っていなかったのである。

「坊さんになろう」
 至極普通の思考回路に戻って男は考えた。人に施しを受けるにしたって坊主の方が乞食よりよほどマシだろう。最悪どこかの寺で小坊主として一から始めればなんとか生き延びることもできるかもしれない。

 善は急げと持っていた刀で髪を切る。もはや武士の誇りなんて何処にも無かった。だってこのままだったらどのみち死んでしまうのだもの。脂ぎった髪を切り落とし、今度は脇差しで頭髪を剃ろうとするのだがなかなか上手くいかない。脇差しは人を切った後のようにすぐに油をまとってしまう。思えば風呂屋にもずっとご無沙汰だった。刀身に纏わり付く短い毛髪。そんなもので剃ろうとするものだからすぐに頭皮を切ってしまう。

「ダメだどうしよう。超痛いしドクドクする。刀って危ないね」
 そんな当たり前のことに今更気づいてしまい、男は髪を剃ることを諦めて近くの寺を探すことにした。

ーー

「住職はおらんか」
 声を上げると一人の弱々しい感じの小坊主が出てきた。男は住職に会いたい旨を伝えるが、住職は檀家の中でも一番遠いお得意様のところに行っており今夜はフィーバー、帰ってこないという。男は小坊主に自分が出家したい旨を話した。
 しかし一介の小坊主がそんな大切なことを一存では決められるはずがない。住職の帰ってくる明日にでもどうぞ。とは言ってみたものの男に帰る場所などないと言われてしまった。

 実は小坊主は内心かなり怯えていた。大きな声がして呼ばれてみればそこには河童。いや頭から血を流した珍妙な髪型の男が刀を携えて立っている。自分はここで殺されてしまうに違いない。あー神様仏様、どうやったら逃げれるのか教えて。即座にテンパってしまった。真っ先に神様なのかと突っ込みたいところだが小坊主にとってはそれほどの異常事態だったのである。

 さて、この河童の目的も判ったことだし命の危険はないようだ。仕方無い。取り敢えず何か食べさせて今日のところはお引き取りいただこう、そんなふうに考えた小坊主は渋々男を寺内にあげることにした。

 小坊主が用意していた夕飯を分けてもらいながら男は小坊主とは日々どんなことを行うのかを尋ねてみた。ゆうげは腹に染み込むようだった、しかしどう見ても年下の小坊主が目の前に居る手前がっつくわけにもいかない。質問も極めて平静に聞くように努めた。

「夜明け前の起床から始まるエブリディ。果てなく続く寺の清掃。酒も飲めない檀家回り、台所周り。退屈な写経、眠くなる読経、故に独唱。疲れ切った体にのしかかる好き者住職の床相手」
 小坊主はなるべくなるべく僧職が魅力的に見えないように話をした。つまり盛った。

「なに?住職の相手とな?」
 小坊主が言うに住職はことさらあれが好きな生き物なのだという。これには男も驚いた。なにせ自分は女とまぐわいたいと願って生恥をさらすことも辞さずここに来た。だのに小坊主の勤めは斜め上方にカッ飛んでいる。困った。他の事ですら面倒過ぎることが目に見えているのに、それ以前に貞操の危機とな。
 男は小坊主に剃刀を貸してもらえるように頼み、頭髪をそり落とした後は必ず寺を出て自分は托鉢の旅に出るという約束をした。出て行ってもらえると安心した小坊主は喜んで剃刀を貸し水場へ案内する。

「なんだっけあの難しい名前、あぁ法名っつの?それはどんなのがオススメ?」
 男は剃刀を頭にあてながら小坊主に法名について聞いてみたのだが、いろいろ難しそうな音ばかりでよくわからない。しかも下を向いて頭を剃るものだから頭に血がめぐって非常に苦しい。

「やって。お願い。やっちゃって」
 結局嫌がる小坊主に無理やり頼み込んで頭を剃って貰うことにした。目を閉じて身を委ねながら迷想の続きをしてみるが法名など全く浮かぶはずがない。ムズイ。

「あーもう『無瑞』(むずい)でいいや」
 こうして男は無事にセルフ出家したのである。無瑞は小坊主にもう古くなって着ない法衣がないかを尋ねた。しかし余った法衣などないという。ちょうど雑巾にする予定だった十得ならあるというのでそれを貰い受け、約束通り夜もふけた寺を後にした。ちゃんとした法衣でないその姿は一見怪しい茶坊主の出で立ちであったが無瑞はそれでも大満足だった。だってほんの数時間前まで死ぬところだったのだから。

 上々上々。夜風は剃りたての頭に気持ちが良い。おもむろに鞘に入った刀を地面に立てて手から離すと右の方に向かって倒れた。無瑞がそれを拾い上げ、ひょいとそちらを見上げると三日月。良い感じの月がこちらを見ている。
「よし、こちらに行くとしよう」

 刀を持った茶坊主が鼻歌を歌いながら一人夜道を歩いている。
 なんだかすげー物騒な話だ。

<< ひとまず了 >>

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