書いている

この記事の所要時間: 1 21

過去に書いたものを書き直しているとよくぞこんなものを書いたなと思う。誰が書いたの?これ。

自分が書いたものであることは間違いないはずなのだけれど、頰をつねりたくなるような猜疑心が湧く。

冷たくなったテキストが書き直していくうちに温かみを帯びてきて、それを見ているうちに、あぁやはりこれは自分が書いたものだなと思えてくるから不思議だ。

思えばテキスト投稿サイトで色々な人を見た。友達もできた。去っていく人もいた。帰ってきた人もいた。けれどそんなことさえ関係なしに俺は俺で書きたい時に書きたいだけ書いている。いつになったら書いてきたと言えるようになるのだろう。

書くことには孤独な一面がある。なにをどう書こうかなんて余程なことがない限り自分で決めているし、残ったテキストは否が応でも自分のものになってしまう。そう考えると自分の文章には好きも嫌いもない。あるのは自分が書いたという記憶だけ、そんな風に思えてしまう。そのくせ証など何処にもない。でも俺が書いたんだよ。

書くことをいつまで続けられるのかなんて思わない。いつになったらやめるのだろうとは思うくらいだ。似ているようで全然違う。両者には遠い隔たりがある。なんだかんだ言っていつまでも書いていると思うし、こうなってくると皮肉なものだなと苦笑するしかない。いつからこんな風になったのだろう。

人に書けよとは言えないが自分には言える。何か書けよと。

日記を書こうと思っていたのになんだか別のものになってしまった。

深夜1時59分。
残り1分はとても長くて、少し短い。


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