ミノタケ

この記事の所要時間: 4 32

 文具店の中は消しゴムの微かな香りと現像液を拭きとった後のような匂いが混ざっていて、ここがただの本屋ではないことを主張していた。なんで俺はここに居るんだっけ?確か失恋したか何かでとても疲れていて、トボトボ歩いていただけなのにいつの間にやらこの店に吸い込まれてしまったのだ。秋。

 店主は俺を見るとスックと立ち上がり、眼鏡奥のキツネ目から俺を品定めしているようだった。
「折角寄っていらしたのですから、どうぞこちらをご覧ください」
 そう言ってキツネ目がショーケースから取り出したのは沢山のペンだった。瑠璃色の天鵞絨に化粧されたトレイの上に綺麗に並べられている。俺はこいつはきっと気が狂れているに違いないのだと得心する。俺にこんな高そうなペンなど買えるものか。
 黒と赤がマーブルに塗り上げられているものやら、純白の中に乳白色のオーロラ模様が埋め込まれた宝石のようなペン。とにかく全てが高そうだ。
 対して俺はといえばリアリティ・バイツの三人がプリントされた寄れ寄れのTシャツに尻ポケの上の毛皮のパッチが気に入っている裾の切れたジーンズ、鼻緒はもう色褪せた下駄といういでたち。
 そもそも字だってとても下手くそなのだ。高いペンを持つには値しないことなど十分心得ている。段々と怒りがこみ上げてきてキツネ目を睨んだ。俺をからかっているのか。

「そうですねぇ。お客様にはこちらなどお薦めかと。シンニのペンでございます。こちらを使っていただきますといつもと違う文章が書けるのです。どうぞお試し下さい」そう言ってキツネ目は黒と赤のマーブル模様のやつを俺に渡してきた。

『確かに良いペンかもしれませんが僕にはこんな立派なペンはとても似合うとは思えないですがね』とは言えなかった。
 取り敢えず字の汚さだけでも見せて諦めさせようと試し書きをしてみる。

“ファァァァァック!!俺はお前のような人を見下す野郎は本当に大嫌いだ。胃の中にある全ての胆汁をここにブチまけたいほど反吐が出る。俺は今このペン先を貴様の手の甲に突き立てたい衝動を猛烈に耐えているのだ。
わかるかこのクソ野郎が!”

 ペンは勝手に動き出して思っても見なかったような酷いセリフを紙の上に書き出していた。
「そのようにそのペンは怒りの感情を書かせてくれるのです。他には〜」何事もなかったようにキツネ目はペンを渡してくる。興味が出て来た自分は促されるままに書いてはみるのだけれど、次々と渡されるどのペンも普段では浮かばないようなセリフばかりをどんどん勝手に書きだしていくのだった。

「どれになさいますか?」
何本も試し書きをさせられた後、店主は買うのが当たり前のような前提で尋ねてきた。よくわからないがこの大量にあるペンは自分の中の特定の欲望を忠実に書き出せる力を持っているらしい。
「一本どれでも千円になります。但しお買い求めになれるのは一本だけです」Leeのポケットをまさぐるとクシャッとした紙幣の感触があった。こんなペンが千円で買えるというのか。とても良い買い物な気がする。然しこんな物を買って一体どうするというのだ。自分がさんざん裏切ったせいで遂に逃げて行った女への恨み言でも書けば良いのか。それとも有り余る性欲でも書き散らかしていつかの自身への機智として蓄えておけというのか。其れは其れで楽しいかもしれない。悩む。

 答えを出すためにどれほど時間が経ったのだろう。なんだか頭がボーっとしてウヮンウヮンと耳鳴りがしていた。喉が渇いて歯が尖っているような気もする。結局一本の筆記具を買って店を出ると季節は冬になっていた。まったく意味がわからない。とても寒い。冷たい下駄をカランコロンといわせながら急いで家まで帰った。

——–

 あれは何ですかと俺は尋ねた。キツネ目の眼鏡の向こう側に銀色の何かが見えたからだ。
「あちらでしょうか?あちらはただの鉛筆です。あれも千円になります」
 あれは何が出来るのかと更に尋ねてみる。
「取り敢えず何か書けます。貴方が思っていることを」

 そうか。普通の鉛筆か。
「あれを下さい。銀色の鉛筆を」
 ブゥゥゥーン!グゥアゥッ!バッキーーーーーン!
 グレッチでフルスイングされたような音と衝撃がコメカミにやってきた。耳はキーンと高音を奏で、鈍痛ではなく鋭痛が耳がまだ付いていることさえ疑わせた。俺は横っ飛びに吹っ飛んでいた。グレーになった世界にキツネ目の男の声が続く。

 オレヲ誰ダトオモッテヤガル。
 折角お前に本当の欲望を吐き出サセテやろうとしたのに。。
 ペンが何本あったかを数えなかったのか、勘の悪いやつめ。
 お前を地獄の猛火で焼いてやりたくてたまらない。
 忌々しい偽善者ぶりニ反吐が出る。
 お前だって結局血の流れている人間なのだ。
 欲望まみれの低俗な己を判っているだろう。
 俺はお前だったんだよ。折角のチャンスを不意にしやがって。
 頭痛は俺からのプレゼントだ。
 そのままいつまでも楽しむといい。

——–

 早速買ってきた鉛筆で試し書きをしている。あの後に文具屋で起こったのはこんな感じだった。最後の衝撃はまだ残っており、記憶はドンドン無くなっていくような気がしている。

 世の中、金と銀の斧を差し出されたら、間違っても鉄の斧は選ばないのが良いのかもしれない。少なくとも殴られずには済む。

  Blogランキング
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ  にほんブログ村
気に入って頂けたらクリックをお願いします。励みになります。
スポンサーリンク
レクタングル(大)
スポンサーリンク
スポンサーリンク
レクタングル(大)