九日五月

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 考えを述べているテキストに太字の強調を見かけると違和感を感じることがある。解りやすくするために付けているのだろうが思考の押し付けに見えてしまうのだ。強調したいのならば言葉でしてくれ。そんなときにふと浮かぶ「五月蝿」という言葉。なるほど良くできた言葉だ。

「永い言い訳」という映画を見た。強調が何一つ無い映画だった。だから全く五月蝿くない。物事と登場人物の時間だけが淡々と進んでいく。観る側が何を言わんとしているのか探さなければならない種類の映画のように思えた。

 そんなことをしてしまうものだから観終わった後、思考の中にちゃっかりこの映画の居場所がつくられてしまった。暫く調子の良い鍛冶屋は聞きたくないものだ。

 誰々の演技が上手かったとか下手だったとかそういう種類の映画では無い。

 この映画の主役は監督だと思う。

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