チャーハンは少ししょっぱい

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 国語が苦手な子供にとって詩の授業などというものは苦行以外の何物でもないのかもしれない。自分は国語ぐらいしかマトモな点数など取ったことが無いので、まさか自分の子供が国語嫌いになるとは思ってもいなかった。

 子、曰く。詩というものは「書けぬ、判らぬ、なんじゃこりゃぁぁ。うがぁぁ、こうなったら謀反したる。幕府爆発バイオレンス即爆発」だそうで。流石に一人の親として「そんな性急なことをしてはいけないよ。平和大切。ノー・モア・ウォー」と諭すことにした。

 しかし代替案なしに平和条約など結べない。仕方がないので「じゃぁライム、連想、繰り返しなどを使ってみるというのはどうだろう」などと表面から詩を攻略してみることを勧めた。するとまぁこれも当然だろう、例を寄越せと言う。実は自分も他人にわかってもらうような詩を書くことは苦手なのだ。

『ぎょうざ、チャーハン、かぁちゃん』

 突然ひらめいたこの言葉を子に告げた。なんだこりゃ。なんてことない言葉が妙に頭にこびり付いてくる、リフレインしやがる。

 お世辞にも裕福とはいえなかった自分にとって母の手作り餃子というものは、どんな珍味だろうがステーキだろうがいらねぇ、俺はいらねーからあの餃子食わせろ、なんてものであり、そこに好物の炒飯。これはもう明らかにやり過ぎている。もう二度と手に入らないものに限ってありありと思い浮かびやがるくせに限りなく遠い。

 自分の内面を子供によって気づかせられるようなことがわりとある。そんな時、子供は大抵「自分はなにか良く分からないものを目にしているのだ。それだけはわかっている」という事をこちらにアピールするかのように首を傾げる。きっとその通りなのだろう。いつかこの子がこの言葉を思い出してはくれるだろうかなどと俺は迂闊にも思ってしまう。親のエゴだろうか。薄暗くて寒かっただろうあの台所が瞼の裏に浮かんぶ。

『ぎょうざ、チャーハン、かぁちゃん』

 子は次の例を寄越せという。

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