もしも注意報

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「もしも」などという言葉のせいでAくんとBくんは何故か向かい合って、それぞれ時速数キロメートルで歩いたりしなければならなくなってしまった。もしものせいで余計な計算をしなければならなくなった子供達はめでたく算数嫌いになりヒャッハー。夏休みの宿題がなぜか最終日まで残る問題が発生する。なるほど、もしもという言葉は甚だ危険な言葉だ。もしもが無ければ「AくんとBくんが昨日会いました」だけで終わっていただろうに。
「もしも」という言葉には物事を複雑にし、考えることを放棄させるという不思議な性質があるのかも知れない。
 
 もうだいぶ昔のことなので忘れてしまったけれど、たしか「もしもは他の三文字の言葉と変えて良い」というありがたいお言葉がインドの経典に書かれていた筈だ。上から読んでも山本山、下から読んでももしも。やはり自分の記憶力はまだまだ大丈夫のようだ。
 
ーーもしもあの子ともしもしてたら。
こんな風に使えるところを見ると、この言葉は意外と便利なのかもしれない。大事なところをデリケートに守ってくれている。しかし最初にも言った通りこの言葉が非常に危険な言葉であることに変わりはないし、やはり使いこなすためにはもっと練習が必要だと思う。
 
「最近もしものことを考えると、辛くてなかなか起きられないんですよね。かと言ってもしもが無くなったら遊ぶもしもが無くなってしまいますし、大好きなベビースターも買えなくなって悲しくなってしまうじゃないですか。もしもを辞めても、もしもさえ銀行にたんまりあればいいんですけどね。ハハハ。」
 
 毎晩どこかの居酒屋で繰り広げられているようなこのトークもどこか間抜けな感じになってなかなか良い。
 
「最近もしもがもしもに向かってミサイルを発射するなどと不届きなことを繰り返しておりますが、大変ふてぇ野郎です。しかし、もしもでは戦争問題よりも芸能人のもしも問題の方がニュースとしては大々的に取り上げられております。まったくもしもはもしもですね。皆様におかれましてはもしもの際に備えてもしもの準備を忘れずに。」
 
 こうみるとどこか別の世界での事のように聞こえるから不思議だ。これはもうやみつきキャベツ。どうか本当にもしもであって欲しいと願ってしまう。どうでもいい事だけれど病み付きキャベツを漢字で書くと途端に食べる気が失せてしまうということに気が付いてしまった。このように人間は突然どうでもよい現実に引き戻されるなんてことが良くあるし、すぐに興は冷めてしまう。飽きる事は怖い。
 
「もしも・もしも・もしも by 村上もしも」たまにはもしもで踊ればいい。「もしも by もしも漱石」が疲れたら「もしも記念日 by もしも万智」みたいに静かに自分を見つめ直すというのもなかなかもしもな事かもしれない。
 
 正直なところ自分でも何を言っているのかよくわからない。いや、嘘だ。もしもには自分の一番逃げたい理想が詰まっている。頭の中がもしもで溢れている。もしも、もしもが溢れてしまったら人間は一体どうなってしまうのだろう。
 
「もしもは使用上の注意をよく読み用法用量を守って正しくお使いください」
 
 ふとつけたテレビに流れるテロップ。
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