然し蟹という奴は一体何者なのであろうか。全身を装甲で固め、武器を装備した其の姿。
どう見たって「食べないで下さい。どうか私だけは食べないで下さい」と言っている様にしか見えないではないか。人類史上で最初に蟹を食べてしまった人間はとても罪深いと思う。じゃぁお前は嫌いなのか?と尋ねられれば好きである、理由など無い。

いつも不思議に思うのだけれど朱色に茹で上がった鮮やかな甲羅を見て旨そうなどと言う奴らは何なのだろうか?殻まで喰らうつもりなのだろうか。実際にはそれ程質量があるわけではなく、大抵は申し訳無さそうに殻の中に潜んでいる。へばりついてる時も多い。隣の奴の殻の中のそれとエノキをそっと入れ替えてもバレないに違いない、そんな事を考えてしまう罪深き同志達も沢山居ることだろう。本当にやると怒られるから気をつけようね。
そう考えると蟹=殻と思いたくなる気持ちは判らなくはないのだけれど、それは草を食む牛を見て旨そうと言うのに等しく大変愚かに見える。
もう殻から剥がされた身が山盛り。それを見て「カニ・カマ」かどうか疑いながら「おっ、お・・・いしそう」とビクビクしながら言ってみる。それこそがあるべき姿だと思う。間違えた時は泣きながらマヨネーズでも掛けてカニカマを食えば良い。

合コンーーこの狐の騙し合いのような名前の会合を諸君はご存知だろうか。自分はその昔『かに道楽新宿本店(実名)』で開催されたそれに馳せ参じたことがあったかもしれない。酷かった。あれほど酷い会合は初めてだった。
だって誰も話さないのである。出来損ないの鉄製の耳かきのようなもので一心不乱に蟹を貪る男女。俺、それをつまみに酩酊。見かねた女子が蟹をくれるのをずっと待っていた訳なのだけれど、見事に俺の皿だけは最後まで空っぽであった。ツマミたいのは別のもの、なんて言える心の余裕など無かったのである。以来、合コンが蟹の時だけは行かないようにしようと固く肝に銘じたのだけれど、そもそも二度と誘われることは無かった。

此のように人は誰でも蟹に対して一つや二つ恨み事を持っているものである。
食べたら半分凍っていた、食べ甲斐がないのに高かった、殻が刺さって怪我をした。数え上げればキリがないだろう。みなまで言うな、俺には判る。それでも喜ぶべきみたいな空気に翻弄される時もあるだろう。しかし妥協は良くない。中身で判断しなければならない。そうすればいつか味噌にありつく事もできるだろう。まったく考えれば考えるほど蟹と言う奴は面白いものである。面白いものは食べなければならない。知恵を振り絞って食らい尽くすのだ。

そんなおいらは海老が好き。