レディガガの左腕のちょっと野暮ったいTatooがリルケって人の「若き詩人への手紙」の一節だということを知る。アラビア語かなんかに見えていたけれどまんまとドイツ語だった。とても便利な世の中で読みたい一節がそこら中に転がっているし、訳も人によって全然違うけれども沢山転がっている。
ありがたやー。

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あなたの夜のもっとも静かな時間に、ご自分の心にたずねてみてください。
自分は書かずにいられないのかと。深いところに根ざした答えを求めて、
ご自分の心の中を掘りさげていってごらんなさい。もしその答えが肯定的な
ものであって、この重大な問いに対して、力強くただ一言「私は書かずには
いられない」と答えることができるようでしたら、あなたの人生をこのやむに
やまれない事にあわせて設計していってください。
「若き詩人への手紙」by リルケ 三城満禧訳 世界文学全集 集英社
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日本語で販売されている方が居たり http://www.gutenberg21.co.jp/rilke_P.htm
英語だけど http://www.carrothers.com/rilke_main.htm にもっとたくさん読めるものがあって、件の手紙はLetter Oneというやつだった。

面白いのがこの手紙の中に最初は恋についての詩は書くなと書いてある。それは先人によりさんざん開拓されており、安易に飛び込むには大変であるとかなんとか。これは詩人として生きていきたい青年に向けて書いてあるので要は芸術家として生きていくための手解き書のようだ。だからできるだけうまくいくためにはなんていうことが書いてあったりする。

あーリルケ最高。なんてなるかバカ。

偽善者ぶってて繊細で人の目を気にしてる感じが何故かムカつく。幾つかの文はもう否定のしようが無いほど正しく、幾つかの文は否定する必要が無いほど間違っていると思う。古典における時代とのミスマッチ。それは読み手がアジャストしていかなきゃいけないし、そういうアジャストした文章を書いてくれる書き手が必要になった世の中なのかなと思った。
しかし、よくよく考えてみると身近な先人の話もそのまま聞いていたら死ぬ。
彼らはそれで生きてきて上手く行ったかもしれないけれど全部真似してたら死ぬ。
自分に使える知識だけをすくい取っていかないといけないし、恋についての詩を書くなとか言ったら西野カナが死ぬ。
そう考えていくと古典も何も関係なくて、要は説教をどう受け止めるかってことなんだなって思った。
今の世の中は誰かがテキストを書いていないとテキスト自体が死んでしまう。本がなくなる日が来るなんて思わなかったろリルケ。そのうち頭にコード突っ込んでデータを流し込む日が来るんだぜリルケ。だからなんでもいいから誰かがテキストを書かないといけないんだよリルケ。

なんて柄にもなく考えさせられたからやっぱあんたの勝ちですリルケ。