人によって色彩感覚は違うし宗教も違うし美意識は違うのだろう。宗教を入れたのは人間の判断基準の中には哲学があるだろうなと思っているからなのだけれど、要は共通項目みたいなものをベースにした異なる感じ方で人は美を判断してるのではないかなと思っている。こんな短い文章だけでも嫌いな人は嫌いだろうし棘棘しているなぁと感じる人もいるだろう。
辛味が実は只痛覚を刺激しているだけなように、感覚的なものや視覚的なものや匂いや音は全て実は只の痛みとして認識されているかもしれないなどと考えてみるとアートって面白いけど怖いよねと思ったりする。其の痛みは嫌なもので自分の気付かないところで誰かを不快にさせているかもしれないし、きっとそうなのだろうと思うと怖い。

とある小説家の人が文章を書いているとどんどん指先が冷たくなっていく、冷たい冷たい。みたいな事をつぶやいていて自分の場合は逆だなぁと思ったりした。書けば書くほど指先は暖かくなってきてじっとりと汗をかいたりする。書いてるうちに頭と指が独立して動き出し、今自分は思っていることと全く違うことを書いてるんじゃないかと錯覚する時がある。そのくせ出来上がったものは頭で思っていたことでしかなくてちょっと笑ったりするのだけれど同じような人もいるのだろうか。

あんな文章を書いてみたいとかこんな文章を書けたらいいなとかも勿論思うのだけれど生来の怠け者のため勉強する気力が足りない。勉強するくらいならじゃぁ書こうといういかにも悪循環なことを好き好んでやるのが楽しい。後になって自分はこんなことを書いたのだっけと唖然とすることもあるのだけれど前述の結局頭のなかで思っていることを書いているというのと矛盾があって面白い。俺の手がこんなことを書いたのかと驚いたりする。面白いよね書くのって。

書くことによって自分の中から嫌な気持ちやら、網目のようにこんがらがった漠然とした意識がスルスルと紐解かれているようなときも面白い。書こうとするときの気持ちの原動力はやっぱり痛みなのだろうか。

ここに来た時は「バカ」って言葉をいっぱい書きたいと思っていた。「死ね」ともいっぱい書こうと思っていた。妄想や暗いことやどろどろしたことを沢山書きたいと思っていた。自分がサイコだとは思わないけれど世の中に希望が溢れているなんて思っちゃいないし、むしろ不公平だらけだと思うし、それに負けるとは思ってないけれど勝ちきれるとも思っていない。
書くことは昔好きだったから抵抗はあまりなかったのだけれど兎に角荒々しい何かが書きたかった。ここに来てみたらもう狂ってるような文章を書く人も居たり、痛々しく賽の河原を歩いているような人もいたり、ありのままを書ける人も居たりした。

自分はどんな文章を書いていけるのだろうか。やっぱり構成とかも考えないといけないのだろうか。そんなものを考えなくともありのままに思ったままを書けるようにはなってはくれないものだろうか。いつまで書こうとかどこまで書けるだろうかとかも全然ないしきっとこれは趣味なんだろう。

いつか自分の痛みを原動力にして誰かの痛みを取りのぞけるようなアートみたいなやつを書けたらいいなと思ったりする。