人間はやっぱりとてつもなく単純だと思う。
 時計、メガネ、オーデコロン、そんなものでその日一日の気分が変わる。マグカップはちょっと高くても凝ってみた方がコーヒーの時間を楽しめる気がするし嫌なことがあっても良いことで上書きができる。
 胃潰瘍の痛みに悩まされながら人生に対する漠然とした不安と苦悩で胃の壁に塩酸をかけていたような昔を思い浮かべるともうちょっと楽に生きてよかったんだよと言ってやりたくなるような気がしなくもなくてキーボードをペチペチ打っている。
 君のその胃痛の一番の原因は怒りなのだと内科医に聞かされたことがあった。人より怒りの度合いが強く自分でコントロール出来ないがゆえにその怒りで自分自身を溶かしているのだとかなんとか。今なら少し判る気がする。そんなわかったふうなことを言ってもやはり今もまだ自分と向き合って生きていく中で過ちや過度な意地が目に付き後悔やら失敗やらを重ねて行く。少しずつ減っていくそれは人が丸くなるということを示しているのだろうか。時々深く考えて時々深く忘れる。道化は他人のために演じるものではなくて時に自分への嘘をうまくつきとおすためにあっても良いのかなともたまに思う。
 複雑な事情で悲しい離婚をした経験のある人間にお前が悩んでいるそれは闇じゃないと言われた。本当にまずい時は真っ暗の中にいて出口の光も見えず何をやってもうまくいかない、どんなに細い蜘蛛の糸でも手に触れたらそれにしがみつこうとしてしまうこと。自分が上を向いているのか下を向いているのか、逆に進んでいるのかそもそも進んでいるのか。そんな中で歩き続けてやっとうっすら光が見えるような気配を探し、もしかしたらこれは光かもしれないみたいなものを気が遠くなりそうになりながら探し続けてやっと本当に自分が暗闇を抜けたことに気づいたのだと。
 そんな話を聞いてからいつも光が射していることを探している自分がいる。前にも後ろにも横にも上にも光が射していることを知ると安心する。どんなに困ったと思った時でも解決のために方法が残されていればそれは光があるってことなんだと思う。たいてい一つや二つは道があったりする。

 世界が全て二択でできていたとしても失敗の先の二択にはまた二択があってそのまた先にも二択があって振り返ってみたら意外ににそれが一本道になってたりすることもあるのかもしれない。