いつもと同じように月曜日が始まる。

日曜日に憂鬱を感じるのは安寧の休息を放棄していることに他ならないので憂鬱は月曜日になってから始めるほうがいいはずだ。しかしもう日曜日の夕方には重くどんよりした空気を感じ始めている。
どうして月曜日が嫌なのかという疑問。仕事も職場も嫌いでないのに何故なのか。
寝坊したいだけだった。
そうだ。俺は寝坊が大好きなのだ。
早く寝ろという人もいるだろう「やだ」
そんな自由じゃないのは嫌だ。
遅く寝て遅く起きる。
自分のペースで起きると言うことがとても大事なのだ。
かと言って平日は夜更かししないのかというと「する」
明日は仕事があるのになんて俺はダメな奴なのだと思いながら夜更かしする。
この明日のことを考える背徳感が邪魔すぎるのだ。
正々堂々の怠惰こそが自分の求めるものだということに気が付いた。

考えてみると正々堂々の怠惰というのは難しい。
これくらいは許されるだろうなどと人の目を気にしながら怠けるのが常でそれではむしろ卑怯になってしまう。自分を正当化させる技術は自慢ではないが結構低いのでダメージが残る。卑怯者を自負して開き直ろうとしても中々罪深く出来ていてそんなことはないという自己防衛の力が働いてしまう。じゃあ清廉潔白に生きていきましょうなどとは無理に決まっているので考えない。

結果自分はそれほど卑怯者ではないけれど怠けるのは大好きなのでそんな時もあります、敬具。ということになって振り出しに戻るわけだ。
でも実は振り出しに見えて全然振り出しには戻っていない。
言葉の裏側で自分を許す許さないの境界線が最初よりも明確になっている。

今多くの人達が自分を許す許さないの境界線を探っているように見える。境界線は人によって様々だし理解できないものが沢山有るのも当然だ。
しかし誰もが一斉に一つのことに対して境界線を探すという状況は滅多に無いのでないだろうか。

今感じている気持ち悪さの正体は自分の境界線の向こうに人のそれが見え過ぎていることなのかもしれないなと思ったりした。