ふと親孝行っていうものは自分の考えていたものとは違うものなのかもしれないなと思った。まぁもう俺の親は居ないのだけれど。

今日は良い夫婦の日らしい。しかし自分にとっては親父だった人の記念すべき誕生日だ。色々なことがあったし色々知らないこともある。父は晩年、自分は沢山の人に恨まれているに違いないと言っていた。彼の仕事の性質上、人様の人生に影響を与えてしまったこともあったのだろう。誰も知らないなにがしかの呵責を持っていたのかも知れない。
そして俺はその息子だ。

俺は死んだ親父に俺があなたを許すと声をかけたい。他の人からの恨みは俺が継ぐ。だから何も心配しなくていい。俺は生きてる時にこのセリフを言ってやれなかった。だから今日これから言う、言おうと思う。

親が生きてるうちにする親孝行はとても尊い。親の喜びをその目にできるなんてとんでもなく素晴らしいことだと思う。しかし俺は親孝行できていたのだろうかと自分に投げかけてみると、あれで充分だとは到底言えないのではないか、自分のエゴでしかなかったのではないかなどと後ろ向きのことばかり浮かんでしまう。

俺は認める。過去の親孝行は全て俺のエゴだった。自分がやってやりたいと思うことだけを押し付ける孝行だった。そしてこれからも自分のエゴで親に接して行くのだろう。
それってなんだ、俺は親が死んでも親孝行できるってことじゃねぇか。そんな事を思いつき、なんだかすっかり腑に落ちてしまった。
自分の子供も自分に対してエゴで接してくれたらいいと思う。それは当然の権利として与えたい。

今日のために親父と飲みたいと思って酒屋を探し、日本酒を奮発して買ったのだった。
これからそれを飲もうと思う。

嫌な気分になった人がいたら申し訳ない。宗教的な事とか神秘的な事とかを話したいとは微塵も思ってない。
今日はなんとなく、これからエゴで酒を飲むぜと高らかに言ってみたい気分だった。

乾杯