一月もあっという間に終わり、十二月に対して無謀な挑戦をするもののエンターテイメント性においてはやはり劣る二月がやってきた。ふぇぶらりぃ。

 恵方巻きを食べる写真を見せられては「さっきも見た」という言葉をくっと飲み込み「あーいいね」と大人対応したり「年の数だけ豆を食べるのが大変」なんていうどうでもいい発言にも「だよね」となるべく少ない文字でスルー。どう見ても凝り過ぎの鬼の面の投稿には「やばい」とどちらにもとれるコメントで対応するなどとても良く頑張りました。

 そんな節分をやり過ごしたと思ったら今度は二回目のイベントがやってくるのだという。二週間以上に渡ってたった一つのチョコですら買うのが困難になってしまうあれ。日本全国に散らばるチョコレート中毒の同士は息をしてるだろうか。やはり二十八日しか無い月にイベントを二日も入れることがそもそもの間違いなのではないか。結婚式促進キャンペーンを散々進めるくせに一日も祝日を作らない六月のばか。

 そんなことを考えていたら最近の俺は二月に対して少しイライラしているなと気がついた。これは年末年始から心を入れ替え、今度こそ善人として振る舞おうとしていたことに無茶が生じたからなのだろうか。なんて事があるはずもなく、ただ自分の年齢に焦っているのだと思う。迫りくる老いに抗っている。歳を取ること自体は構わないのだけれど、世の中をそこそこで渡りたいと思うズルさや、否と思っていることに対して否と言うことが難しくなってきた苛立ち。小賢しくなってんじゃねぇよと腹を立てているのである。大人の階段下りたい。

 かといって何事にもストレートに物言いをするというのもとても馬鹿げている。秘するべき事は秘するが故に美しい。世間に見えてしまっている秘すべきものを目にする度に、それを見せてしまっているということは終わりが始まっているということに他ならないのではないかなどと大変残念な気持ちになる。今の世の中は色々見えるようになってしまったせいで美しい姿をかえって隠してしまっているのかもしれない。

 目標なんて特に無かったのだけれど今年はもうちょっと適当に生きてやろうと思う。もしかしたらここにも自分のように二月疲れしている人がいるかもしれない。

 レッツら、レッツら、レッツら適当。