バスキアという画家がいた。昔は彼の絵がとても苦手だった。だのに今はだいぶ欲しい。ポスターを手に入れることだけは決してないと思うのだけれど。

自分は絵についてはあまりわからない。だから今書いているこれは戯言だし内容なんてまるでない。自分はウォーホールみたいに「観衆よ、俺の絵の表面だけを見てくれ、中身なんか考えてくれるな」なんてシンプルに言ってくれる方がありがたいくらいの人間だ。

けれど時折なんだこれはと掻き毟られるような絵がある。バスキアは生き方も死に様もポップアートだったけれど、ニューヨークで活動した筈の彼の絵からは、いつも何故かメキシコを感じる。

死者の日だ。

華やかな祭りは常に形骸化していくものなのかもしれないけれど死者の日の中に流れる死への敬いと親しみはやはり今もおどろおどろしい。

バッファロー66’が大ヒットサブカル映画のようにとりあげられた時、ギャロはあのバスキアの親友だった映画監督なんだという触れ込みでコマーシャリングをされていたりした。けれどバスキアの絵はサブカルでもなんでもないと思うし、ギャロの感性とは全く違うもののように見える。強いて言えばただの絵だ。

彼の王冠のマークのTシャツも何個か持っていたりした。でも彼の絵はない。落書きのようなアートだとかいう人もいるが、あんな狂った落書きがあってたまるかと思う。そのくせ全然狂っていないなにかが確実にそこにある。

彼の絵を見て優しさを感じられるようになったのは歳をくったせいだろうか。もしかしたらそんなものは無いのかも知れない。けれど彼の絵を今見ると何故か辛口のトルティーヤを食べた後に残る甘みのような感覚がある。彼の見ていた世界はなんだったのか。良くあるヤク中の画家の見た世界そのものなのだろうか。それでもいい。どうでもいい。そんなものには興味がないし、ただ感じることができるようになった彼の人の良さみたいなものが今は見えればいい。

いつか部屋の壁に飾るのではない、書棚にしまっておけるような写真集が欲しいなと思う。