人間誰しも日々是精進の道を進みたかろうがなかろうが歩まされているような所がある。例え何もしていないように見えても時は進み、体は老い、腹が減る。それらは時に葛藤を含み頭痛胃痛を産むだろう。おんぎゃぁ。
 捨てる神あれば拾う神あり。幾度となく現れるそれらは時と共に風化し、別の形になって現れたり無かったり。捨てる神を捨てて拾う神を拾いに行く。それがフェアってものだろう。余計なものは見ないほうが良い。

 枕に突っ伏し、目と鼻を塞ぎ、声を上げずに口だけで呼吸をしたことがあるかい。悔しさでそんなことをしても何も変わらない。
 ゴローズの煙草を買い求めたことがあるかい。旨いから吸ってみると良い。
 いくら飲んでも酔えなかった夜があるかい。たくさん飲めて良かったな。

 そんな言葉達を自分に叩きつけて生きていく。他の人は知らない。ネガティブな思想なんて欠片も欲しくない。バイバイ。

 日本には春が来ているらしい。卒業新生活なんて卒塔婆爽快みたいな言葉が並んでる。
 そんな中、おかぁさんといっしょのポスターを見かけた。おかぁさんといっしょはあっておとうさんといっしょは無いものか。あったとしても卑猥に聞こえてしまうのは何故なのか。それは性差別だとか言い出すバカはいないのだろうか。
 あれを見かけて心臓が止まりそうになる人もいるかもしれない。何故に20年前のあの人がいるのだ、なんてね。しかしよくよく見るとやはり別人であった。人間と言うものは動揺を隠すのが非常に下手な生き物だと思う。それも仕方がないだろう。だって本当に馬鹿なのだから。幼児向け娯楽番組のポスターを見て動揺などしている場合ではない。しかし声を発すれば通常と異なる可能性が非常に高く、神妙な顔で全く興味がない体で乗り切るしか無い。おとうさんはこういうのは嫌いなんだねと言われても胡桃の渋みを思い浮かべながら軽く頷くしかねぇ。
「あれはおかぁさんといっしょじゃなかった。おとうさんといっしょだったんだ、with A」などといつの日か冗談混じりに言えるだろうか。

 公園のパンダが夜のトレーニング用品にしか見えない。夕やけニャンニャンはいくらなんでも時間が早すぎる。AKBは「あ、カバ」としか読めない。そんなもんだしそれでいい。これを読んだ人もそうなってしまえばいいのに。

 もしかしたらこれをエッセイだと思う人がいるかもしれない。けれど残念ながら少し違う。やっぱり只の嘘だし戯言だ。おとうさんといっしょは本当はあるらしい。まじかよ。
 戯言で人の時間を奪う。なんて最高なんだろう。ピース。

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