黒豹の歓迎 ― ジャングルノート2話

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 一章:言葉を話す豹

 何故人間は未開の地に惹かれるのであろうか。そのうち人類は月に行ってみたいなどとまで言い出すかも知れない。安住に努めようとするならば文明が開かれた場所でだけ生きることは極めて合理的であり、死の危険も少ないはずだ。だのにかくいう私もジャングルなどという未開の地に行くことになってしまった。私自身そんな所へは毛頭行きたくなかったのだけれど行けば金をくれるというのだ。フランス政府が随行者に金をくれるという広告を見て仕事の当てのない私は仕方無しに行くことにした。その前金は既に借金の返済に当てられ、私にはもう逃げ場所などない。

 八月八日、遂に私はジャングルの入り口と思わしき森の入口に立った。総勢二十六名。私を除き屈強な者たちも多く結構な大所帯である。私が自身に課したルールは死なないということだけだ。生きて帰る。どんな卑怯な手を使っても生きて帰ってみせる。頭の中には其れしか無かった。近くの村人の案内で連れてきてもらったジャングルの入り口はポッカリと暗い穴を開けている。隊長が今日の行程についての説明やら注意事項を話しているのだけれど全く頭に入ってこない。此の中にはどんな世界が待ち受けているのか。皆考えることは同じなのだろう。各々神妙な顔で森を見つめている。私達は隊長の号令とともに歩き出した。

 森の入り口はまだ明るくて我々を歓迎しているようだった。小鳥のさえずりも聞こえブーツの音が森に響く。二時間ほど歩いただろうか。獣道がよく見えたこともあって少しだけ安心感を持ち始めていたころだった。

「止まれ!」緊張した声がジャングルに響く。指差す方向には一匹の黒豹がいた。木の上からじっとこちらを見ている。散弾銃を構える3人の後ろに固まる我らと黒い悪魔。非常時に最後尾の列は背後への警戒を怠らないように訓練したことも無意味だった。誰もが黒豹に釘付けだったからだ。自分の命の危険から目を逸らすことなど出来なかった。黒豹は木の上で寛いでいる。

「ようこそ、腐れ人間ども。此の森は誰のものでもない。敬い恐れよ。銃も使うな」黒豹は突然流暢なフランス語で話しかけてきた。私達は驚き過ぎて逃げだすこともできない。各々が自分の耳を疑い顔を見合わせる。足はまるで金縛りにでもあったかのようだ。

「黒豹よ、ご高言たまわる。然しそんな心配は無用だ。我らは此の森にとって招かれざる客に見えるかも知れぬが、此処に来ているのは単なる調査目的だ」流石は隊長である。彼は黒豹に向かって勇敢にも語りかけた。

「調査だと。馬鹿も休み休み言え」黒豹は鼻で嗤うと続けた。「調査と言うものは侵略する前に行うものだ。その言葉を使う事でお前らは既に森に喧嘩を売っているのだ。しかしまぁ良い。私にはお前が馬鹿であることが良く解った。教えてやろう。お前らはどんなつもりかは知らぬが此処にお前らをよこした奴らの本当の目的は侵略であり、享楽なのだ」黒豹はニヤリと笑って言った。襲ってくる素振りなど微塵もない。対して私達は怯えている。得体の知れないものに怯え、自分達に絶対的に何かが足りないことを思い知らされているのだ。

「せいぜい楽しめ、命を大事にな」そう言い残すと黒豹は木の向こう側に消えてしまった。
 黙って私達は歩き始めた。黒豹について話す者は誰も居なかった。動物がフランス語を話すなんて其れだけでもおかしいのにそれを言うことさえ憚られる。重い足取りで三時間程歩き続け、やっとの事で少し開かれた場所に出た。キャンプを設営し二交代の睡眠を取る。しかし私は全く寝付けなかった。私を含め多くの者がそうだったのであろう。黒豹の言葉はこの冒険の意味を考えさせるに十分過ぎたのだ。私達は無知だった。振り返ってみると、確かに私達は他人の享楽の為に屡々命を懸けている。それも自分の人生が失敗し始めたと感じた時から。

 その夜、キャンプから二名の隊員が逃亡した。

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