ジャングルの決意 ― ジャングルノート3話

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第二章:アリの教え
 ジャングルに入って二週間が経った。あの黒豹に会ってからは特に変わったことは無い。一つだけあったとすれば変わり果てた姿となった逃亡した二人の隊員達と再会したことくらいだろうか。無惨に引き裂かれた装備と誰だかも判別できない肉塊。あの夜キャンプに設置されていた帰る方向を示す目印が何者かによって移動されていたのだ。可哀想な二人は真っ暗なジャングルの中で逆の方向に駆け出していた。彼らは死の間際に一体どんな声を上げたのだろう。なかなか眠りにつけなかった私が深夜に耳にしたシャベルのような音は誰かがあの目印を移動している音だったに違いない。この隊の中に裏切り者を殺すことを厭わない頭の切れる奴が居る。きっと私はあの夜、人殺しの舞台装置を作る音を聞いていたのだ。それを考える度に何故だか酷く陰鬱な気分にさせられる。
 重い空気に包まれて行進していた私達は今までになく広々と拓けた場所に出た。森のなかにぽっかりと空いた薄い駱駝色の墓場。まるで砂漠のようである。そこには木など一つ生えていない代わりに無数の墓標のようなものが立っており、それぞれに直径五センチほどの穴が無数に空いていた。墓標は祭壇でも守るように綺麗に円形に立ち並んでいる。
 ーー蟻塚だった。
 同行していた昆虫学者の先生が歓喜の声を上げた。
「こんなにすごい蟻塚は見たことがない、もしかすると世界的な発見になるかもしれないぞ」
 この冒険の本来の目的は調査だ。故に彼の言葉は隊をここに留まらせるのに十分過ぎた。危険だと言うので少し離れた場所に野営地を設置する。蟻の何が危険なものかと半ば自暴自棄になっていた私であったがすぐにそれを改める事になった。長さ二センチメートル程もある巨大な蟻。私はテントの設営中にゴキブリとそれを間違えて驚愕した。こんなにでかい蟻が蟻塚の下には何千何万と居るというのだ。
 この日、隊員全員に蟻に鼓膜を食いちぎられないために耳栓をして寝るようにとの命令があったがこれは珍しくまともな命令だったと思う。
 数日間の調査を進めるうち、昆虫学者の先生は彼らが通常では考えられない知的狩猟をしていることを発見した。蟻塚に囲まれた中央の平らな部分は本当に祭壇だったのだ。蟻はジャングルで仕留めた小動物を中央の台座に供える。それはそれを得ようとノコノコやってくる大きな獲物のための生贄だった。大きな獲物が舞台に上がると蟻塚はみるみるうちに真っ黒く変色し、凶暴な檻へと変化する。何万もの蟻は獲物を完全に囲ってしまうのだ。そして逃げられない獲物に向かって一斉に躍りかかる。蟻によって真っ黒に覆われた獲物は断末魔の叫び声を上げて天に上るしか無い。
 よくよく考えてみるとこんなに蟻がいるというのに私達は捕食者であるところのアリクイを一匹も見ていなかった。ここでは蟻が最強なのだろう。先生によると蟻のこんな大規模な狩猟形態を見たのはもちろん初めてで、どんな命令系統でこの規則正しい狩猟が行われているのかは全く予想がつかないという。可能性としては此の地で何千年もの間この方法を続けてきたことで、本能的に祭壇に上がるものを攻撃するようになっているのかも知れない、ということだった。
 結局、私達は蟻塚を去るまでに罠に嵌った猿を三回も天へと見送った。例え人間であってもあの祭壇に足を踏み入れたならばひとたまりもないだろう。なのに昆虫学者の先生は中に入って調べてみたいと騒ぎ私達を酷く困らせた。隊がここを離れる当日、副隊長は無言で先生の鳩尾を一発だけ殴ってそれを制止した。更に騒いだら先生は撃たれていたかもしれない。声にならない先生の呻き声を聞きながら私達はキャンプの撤収作業にはいった。不満を述べる者も、意見を述べる者もそこには居なかった。
 私は気付いていた。ここにはまともな奴など一人もいない。私もそのうちの一人だ。猿のことも先生のことも、ここに居る奴らの事も全てがどうでも良かった。けれど死んでしまった二人の隊員のことだけがいつまでも心に残っている。もう死んでしまった人間のことなど気にするのはおかしい。然しどうしても無理なのだ。猿の死ぬ前の絶叫は人のそれに聞こえた。きっと逃げ出したあの二人も同じ声をあげたに違いない。悪意の無いふりをした悪意ある行動で彼らは命を落としたのだ。私は決めた。どうせ狂っているのだ。死ぬかどうかも運なのだ。この旅が終わるまでに絶対にあの夜に目印を移動した奴を突き止めてみせる。
 私は借金を払う以外にも一つだけ小さな買い物をしていた。
 ーーバックの底に忍ばせた、白い四十一口径のデリンジャー。
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