忘れていく

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ツイッターのせいで泣いた。個人的には男が泣くことは全く悪く無いと小学校で習って以来全く気にしない方なのだが自分でも少し驚いた。

2017年2月23日、鈴木清順さんの死を知った。知る人ぞ知る映画監督だ。ここ最近メディアに出ることもなかったが自分は清順さんの言葉を投げるbotを購読しており、彼の毒舌を楽しんでいた。作ったのは清順さんのいちファンの方だと思う。

 2/23なんて日付まで判るのはこんな事をつぶやいていたからだ。

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清順死んじゃったのかよ。会ったこともないのになんなんだこの感じは”

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好きな人が死んだ日の酒は悲しいくらいに旨い”

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”くそじじいって言われるじじいを目指す”

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”日本映画万歳”
 
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”死んでんじゃねーよって3回は言ったからもういい。 ありがとうございました。”

 人の死は時々、心当たる理由など無いのに納得をさせてくれない。だからこんなのも書いたりした。そして人は忘れていく。バイバイ。

 それから暫くたった一昨日の晩、ふと流れてきたTweetに目が止まった。

”静的な文学世界をより動的な映像世界に変えるのが我々の仕事なんだよ。”

 

 インターネットで毒を吐くのは気を使う。インターネットでなければ更にそうだと思う。その隙きを突くのもまた言葉の使い方だと思うけれど、清順が映画監督の立場でこの言葉を出すという重みはなんかもう無茶苦茶だなぁと思う。あぁやっぱり清順すげぇなぁと感心してしまったのだ。やっぱり彼は愛すべきクソジジイだった。

 数秒後、深夜のスマートフォンに通知があった。 

 ” そうですよ。うまくはめられているんですよ。さからっても、やっぱりやってくるでしょうね。”

 botが喋った。

 泣くだろ、そんなん。

 きっとこんなことも俺は忘れてしまう。だから死ぬ前に残しておこうと思う。 


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