ボールペンで斜めの線を引くような音が窓の外から聞こえてくる。23時55分、雨。もう二度と戻らない日がまた過ぎようとしている。物書きは書かなくとも物書きだ。物書きは書いてこそ物書きだと言う人もいるだろうが自分はそうではないと思っている。

 書かないあなたも物書きだ。何故そう思うかというと自分も昔そうだったから。そしてそれをうまく説明することができなかった。書きたいものがある。それが物書きを名乗る条件なのではないかと思っている。

 書くという行為は夜の行為にも似た高揚感と多大なる疲労を伴う。そこには書いたものが形として残ってしまう、そして自己及び他からの評価を受けざるを得ない、という結果が伴ってくる。日記のように書いたものを秘匿とし、自己完結できるようなものを愛する人もいるのかも知れないが、書く事の本質は相手がいてこその行為なのではないかと自分は思う。

 夜の行為なんて表現を使うことに嫌悪を持つ人もいるかも知れない。そんなあなたは正しい。けれど今この時、これを書いている人間が、今、一番伝わりそうな表現を考えた時に頭に浮かんだ優しめな言葉がこれしかなかったことを分かって欲しい。明日になったらもっといい表現が浮かぶのかも知れない。もしかしたらもっと悪い表現がふさわしいと思ってしまうのかも知れない。書くことは同時に時間を文字として打ち付けているようなところがある。

 大変ありがたい事にものを書くという行為はある程度のエゴイズムを書き手に許してくれる。だからこそ書き手は躊躇なく嘘を書くことができるし、自分のついた嘘に自身が騙されることも許されている。

 もう5月も残り僅かだけれど来月から新しい場所でもっと嘘をついていこうと思っています。

 好事家の方へ。どうぞよろしく。

  銀座

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