未来への道 ― ジャングルノート7話

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五章:逆流する滝

 私は現実とは何かということを真剣に疑問に思い始めていた。ジャングルに入ってのこの数ヶ月間、実に多くの不思議な光景と仲間の死に立ち会って来た。だがそれを現実として受け止めきれていないのだ。例えばもしもこれが本の中の世界だとしたらどうだろう。私は喜んでそれを受け入れるに違いない。たとえそれが私が存在しないという事を意味していたとしても。細く色白だったはずの体が今では褐色に焼けてうっすら筋肉さえ浮かんでいる。そのことだけが自分は生き延びたのだという実感を与えてくれた。

 先の方から水の音が聞こえて来る。おそらく滝でもあるのだろう。誰もが同様に歩を早めた。水源に近づくにつれ辺りはどんどん涼しくなっていく。果たして目の前に現れたのは凄まじい勢いで逆噴する巨大な水の柱だった。それは横幅が10メートル、厚さが2メートル程もあり、冷たい水が天まで噴き上がっている。私達は水の中に手を突っ込むと久々の新鮮な水を味わい顔や頭を洗った。給水タンクへとこの先の備えもした。
 
 肘まで手を入れたところで背中に妙な予感が走った私は慌てて腕を引き抜いた。水流に体を持っていかれそうになったのだ。ふと右を見ると下着一枚になった仲間が水浴びをしようと足を踏み入れようとしているところだった。
「やめろ、とまれ!!」
 私の背後から隊長の怒号が聞こえた。隊長の方を振り返る隊員たち。しかし時すでに遅く水浴びをしようとしていた隊員は水の中へと吸い込まれていった。数人がその場所に駆け寄ったが彼の姿はもう見えない。私は彼が水柱の反対側に飛び出ているのではないかと裏側へと走ったがそこにも彼の姿はなかった。
 
 すぐに隊長の号令で整列と人数確認が行われる。幸いなことに彼以外は全員無事だった。私が感じたあの違和感を隊長も感じたのだという。しかしそれに気付くのが遅すぎた、彼を制止するのが間に合わず申し訳ないという謝罪が隊長からあった。昆虫学者が事の起こりを説明する。誰もが久しぶりの水を見て浮かれていたのだろう。今の今まで誰もが一つの奇妙な事実を見過ごしていた。
 
 ”噴き上がった水がどこにも落ちてこない”
 
 昆虫学者はこんなことは絶対にあり得ないと言いながらも力説した。これはおそらく滝のようなものであると。重力に逆らい水が下から上に落ちているのだという。私達は一様にゾッとした。それではさっきまでの私達は滝の上から頭や手を突っ込んでいたというのか。私が感じた嫌な予感は水流に吸い込まれる感覚ではなく、落ちるかもしれないという感覚そのものだったのだ。
 
 一晩キャンプを張って待ってみたものの彼が落ちてくることはなかった。私達は滝の脇に脱ぎ捨てられた彼の衣類を埋めて墓標を立てた。ジャンという名前以外、ファミリーネームさえも知る者はなかった。仕方なく私の考えた墓碑銘がそこには彫られることになる。
 
『ジャン、未落の滝に眠る』
 私は祖国よりもなによりも現実に一刻も早く帰りたかった。声に出してしまったら叫び出しそうだった。あと少しで迂回して戻る地点というところまではもう来ているはずだ。
 

 翌日の夜、迂回ルートを更に変えて予定よりも早くジャングルを抜け出すことを目指す通達がなされると、外のテントからは地響きのような歓声が湧き起こった。ルームメイトだったジャンの居なくなったテントの中、私は笑い出していた。

この世界は人の死こそが未来を作っていくのだ。

<目次>

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