読了 ― ジャングルノート10話

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八章:この世の果て

 遂に長かったこの手記にも旅の終わりを記す時がきたようだ。私は今、海の孤島に浮かぶ病院のベッドで此れを書いている。こんなとるに足らない今の私の状況など書くことは関係ない気もするが物語というものは物語の世界の中だけでは決して終わるものではない。物語の延長には現実があり現実の先にはいつも物語が転がっている。

 あの時、私達はジャングルの中を大きな円を描くように進む予定だったのをやめ、出発地点へそのまま折り返すルートを選んだ。見ることのできない景色も沢山あったことだろう。しかし私達は間違ってはいなかった。なぜならば私はこれを書くことができたのだから。

 ライオンに出会った後、私の世界は一変した。ジャングルに来て以来ずっと恐怖に怯えていた眼はこの世の全ての色に正しく向けられるようになった。黒豹の言っていたことを理解した。クロコダイルは真理を教えてくれていた。それでも彼らの意思を汲み取れず悩み苦しんでいた自分を最後に救ったものは肯定だった。世界はずっと前から眩く光りながら私に向かってその手を差し伸べてくれていたのだ。

 帰路を歩み始めてから二週間程経った頃、私達はある異変に気がついていた。進んでも進んでも一向に景色が変わらないのだ。キャンプにふさわしい野営場所を決める際、以前に来たような錯覚を覚えていた。計器の故障も疑った。しかしなにもかもが恐ろしく正確に動いている。昼と夜は規則正しく明け暮れ、ただ無闇やたらに時だけが過ぎていく。そして私達は自ら付けた目印によって、同じ場所をグルグルとまわっていることを確信するに至った。

 私達は目につく一番大きな木に物見台を作ることにした。下手に動くのは危険と判断した訳だ。二日もかけて作り上げたそれは十二分に立派なものだった。
 一人一人交代でそこに登り、何か目印になるものを探す。私達は目を疑った。地球は丸いなどというのは真っ赤な嘘だったからだ。そこから見える360度の地平線にはぽっかりと大きな窪みが口を広げている。世界は大きく歪んでいた。そしてそれは私達の場所を中心にゆっくりと右から左へうねるように動いている。コンパスでさえもそのうねりに惑わされていた。私達は目先の目標に向かって真っ直ぐ向かってはならなかったのだ。ただ帰るべき場所へと向かわない限り決してここを抜け出すことなどできる筈がなかった。そう、うねりもコンパスも無視して。

 私達は初めて全員で意見を出し合った。この場から出るために何ができるのか。全員の思いはただ一つ。生きてここを抜け出すことだ。そこには階級も学歴もなかった。私達はうねる大地に規則性を見つける必要があった。幸いなことにまだ充分な水も食料もある。私達は交代で物見台に登り規則性を探そうとした。だが、残念ながらそれを見つけ出す為には膨大な時間がかかるように思われた。
 そんな最中に殴り合いの喧嘩が起きた。探検を始めたばかりの頃ならばともかく、死線を共にしてきた私達にとって其れは久々の大事件だった。何の事はない。原因はギャンブルでの争いだという。

 フランスのパブに行くものなら誰でも知っている421というゲームが有る。ダイスを3つ振り、出た目の役を競うゲームだ。名前の通り421が出ると最高役になるそのゲームでは役を競うために1がキーの数字になっている。それが何回ダイスを振っても全く出ないというのだ。私達はイカサマかどうかを言い争う二人を羽交い締めにして縛り上げた。なんという温厚な解決策だったろう。ギャンブラーの端くれだった私にとって二人の喧嘩はどこか懐かしく、こんな時であるのに笑ってしまう余裕さえあった。

「ちょっとまってくれ!」
 久しぶりの殴り合いに賑わう仲間達を制したのは他ならぬ私だった。おかしい、絶対におかしい。相手に振らせるダイスをすり替えることは難しい。だからもしもイカサマをするとしたら自分が振るためのダイスを隠し持つのが普通だ。そのダイスが1を出せないなんてわざと負けたがってるようなものではないか。私は自分のテントに駆け戻りダイスを探した。自分のダイスを握りしめ、テントから飛び出して仲間達の前に立つ。

 二十を超える眼の前で自分のダイスを振った。
「3・3・3」「4・2・5」「5・4・3」
 私のダイスでもやはり1の目は出なかった。その場に居ない昆虫学者を仲間が呼びに行く。昆虫学者がやってきた後も私の3つのダイスは決して1の目を出すことはなかった。学者の観察力は流石としか言いようがない。彼は高らかにこう宣言したのだ。この場所で振るうダイスの1と6の目は常に同じ方向を指していると。

 丸々一日を費やし、何千、何万とダイスを振った私達はダイスが常にコンパスとも異なる規則正しいある方向を指していることを突き止めた。日が明けるのを待って、常に目が6を示す方向に向かって歩き出す。理屈なんてどうでも良かった。ただそこにある事実と微かな希望だけが私達を突き動かしていた。コンパスが正しく機能する場所にさえ辿り着ければ良い。そして物見台を出発してから一週間後、遂に私達は見知った場所へとたどり着いたのだ。

 それはジャンの墓標だった。ジャンの墓標は私の文字を刻んだまま、何事もなかったかのように佇んでいる。不思議なことにジャンの命を奪った逆流する滝はどこにも見当たらなかった。私はもう必要の無くなった私のダイスを墓標の下に埋めることにした。

 それからの私達はもう迷うことはなかった。コンパスは正しく未来を指し、私たちは思い出を辿るように来た道を歩む。しかし私達の見知ったあの不思議な世界は面影は残っているものの忽然と姿を変えてしまっていた。そこには葉巻をふかすクロコダイルも、流暢なフランス語を操る黒豹も居なかった。蝶の墓場に至っては花が咲き乱れる只の樹木だった。私達は一様に違和感を感じながら、それでも出発地点のジャングルの外の村まで無事に辿り着くことができた。

 その後祖国に帰った私は小さな貿易会社に就職し会計士の仕事を続けた。ギャンブルに対する興味は不思議と消えていた。そして世界はあの激しい戦争に突入する。ジャングルを出てから良いことも悪いことも全て自分の意志に従うことに決めていた私は戦争に乗じて最後のギャンブルをした。そして人生を賭けた勝負に勝った私は大金を得ることになり、戦争が終わるのを待って祖国を捨てる。贅沢をせずに暮らすには充分だった。それから何もない平和な数十年の歳月は流れ、年老いた私は人生の最期を迎えようとしている。

 今になって思えば、あの最後に迷った場所は世界の果てだったかもしれない。それとも始まりの場所だろうか。終わりと始まりはとても良く似ている。私は天に召される前にあの場所の上を通ることができるのだろうか。今はただ静かに答えを待つのみだ。

 私のジャングルのせかいはここで終わる。やっと書き上げることが出来た。これが最初で最後の手記になるだろう。ここまで読んでくれた君に会うことはないだろうが感謝する。どうか最後にこの言葉を受け取って欲しい。

 正しい答えはすぐ側にあっても目には見えない。真などと呼ばれるものはその時点で判断される一つの形でしか無い。
 君よ、決して惑わされるな。君にとっての正しい答えは君にしかわからないものなのだ。

 見知らぬ友へ、良き旅を。

 ーー ジャングルのせかい 完 ーー

 やっと読み終えることができた。体にはいつもの読後のような気怠さと爽やかな満足感のようなが残っている。面白かった。しかしそれとは別になんだか妙に引っかかるところもある。

『黒豹の歓迎』
『ジャングルの決意』
『最後の煙草』
『死の鱗粉』
『未来への道』
『マルセイユ』
『追想の夜』

 本の脇に開かれた自分のノートには感じたままに綴られた言葉が章ごとに並んでいる。この最後の章はなににしようか。もうこの作者はきっとこの世を去っているだろう。その気持ちも込めて「この世の果て」としたのだろうか。随分メッセージ性の高い本だった。語りかけてくる内容も多かった。そのせいなのか果てという言葉に少し違和感を覚えている。どんな言葉がいいのだろう。

 少しのどが渇いてしまった。水でも飲もう。

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