ジャングルへの帰還 ― ジャングルノート11話【完結】

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 そういえば本の表紙には作者の名前が無い。あとがきのページをめくるとやっと作者の名前を見つけた。やはり作者はフランス人のようだ。訳者のところには「訳したあなたの名前をここに書いて下さい」と線が引いてある。そこには前の持ち主が書いたのであろう手書きの署名が小さく施してあった。

 目玉が頭蓋骨の中で揺さぶられるような、鈍器で殴られるのに似た衝撃が襲ってきた。目の前の空間がぐらぐらと歪む。何故だ。何故ここに自分のサインが書いてあるんだ。
 作者の名前を見てみると『Jean Loussier』となっている。何が一体どうなっていると言うのだ。何故お前がジャンの名を名乗っているんだ。ジャンは死んでライオンにその姿を変えたのではなかったのか。どうしたらジャンがこの本を書くことができるっていうんだ。お前は一体誰だ。一体何が起きているんだ。読後の満足感などあっという間に消え去ってしまう。

 少し落ち着こう。周りを見回して時計を見ると11時15分を指している。まだ午前中だったのか。待てよ、そういえば自分はいつこの本を読みはじめたのだろうか。
 署名の下には『SN:3/6』とシリアルナンバーらしきものが印字されている。自分はこの本を読むのが初めてでは無いのかも知れない。この記号にはどこか見覚えがあるからだ。見たことのない何処かの街中でこの本を買い求める自分の姿さえ思い浮かんだ。

 何もかもが最悪な気分だ。まるでどこかの誰かに操られているような気がする。仏和辞典を取り出して本のタイトルを調べてみると原書の名前には「ジャングルノート」とあった。なにが「ジャングルのせかい」だ。最初からこれは本ですらなく作者のノートだったということか。
 すっかりただの作り話だとばかり思い込んでいたこの本に、今度は自分が馬鹿にされている。頭はなんとか理屈をつけようと足掻く。何かが狂っているのは確かだ。まるで最後に書かれていた世界の果てのようにこの瞬間こそが流されている気がした。世界が交差して何かがぐにゃぐにゃと形を変えている。猜疑心が煽られている。

 ーー物語というものは物語の世界の中だけでは終わらない。
 最後の章にはたしかこう書かれてあった。

 ーーせいぜい楽しめ、命を大事にな
 黒豹のセリフはこのことを指していたのだろうか。

 ーー物語の延長にはいつも現実があり、現実の先には物語がある。見知らぬ友へ、良き旅を。

 ジャンの墓に戻ったとき、逆流する滝は消えて無くなっていた。道を反対に進んだときにストーリーは変わっていたってことか。最初から読み直そう。もう一度黒豹に会って質問をしなければ。クロコダイルに会って教えを請わなければならない。今から読んだとしたら話の内容が変わってくるのかもしれない。

 ーー全ての可能性の路があることを否定すること無く受け入れるのだ。他人の声というのもそのうちの一つになるだろう

 すべての可能性を否定してはいけない。サイコロを持っていこう。机の脇の引き出しからサイコロを探したのだけれど見つからない。ジャンの墓に埋めたサイコロを今度は掘り出そう。
 ページの隙間から栞がハラハラと落ちた。忘れないように机の上に残っていたチョコレートをズボンのポケットに入れる。ライオンはチョコレートが大好きなはずだ。

 現実と物語の節々が絡み合い、意識したことの無かった世界の揺らぎをはっきりと感じている。全くとんでもないものを読んでしまった。

 『ジャングルへの帰還』
 自分のノートに足跡を残す。

 ゆっくりと本の表紙に目を遣る。シルクハットを被ったクロコダイルが嬉しそうな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 << 了 >>

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