頂きました

この記事の所要時間: 0 20

Shortnote.jpと言ういつも書いているところで賞を頂きました。

作品自体はこちらになります。

天使のバイト

 

第4回エッセイ大賞の結果発表! by ShortNote 運営チーム #ShortNote https://www.shortnote.jp/view/notes/AAKxhd56?sb=tw_fl

もしも注意報

この記事の所要時間: 2 43
「もしも」などという言葉のせいでAくんとBくんは何故か向かい合って、それぞれ時速数キロメートルで歩いたりしなければならなくなってしまった。もしものせいで余計な計算をしなければならなくなった子供達はめでたく算数嫌いになりヒャッハー。夏休みの宿題がなぜか最終日まで残る問題が発生する。なるほど、もしもという言葉は甚だ危険な言葉だ。もしもが無ければ「AくんとBくんが昨日会いました」だけで終わっていただろうに。
「もしも」という言葉には物事を複雑にし、考えることを放棄させるという不思議な性質があるのかも知れない。
 
 もうだいぶ昔のことなので忘れてしまったけれど、たしか「もしもは他の三文字の言葉と変えて良い」というありがたいお言葉がインドの経典に書かれていた筈だ。上から読んでも山本山、下から読んでももしも。やはり自分の記憶力はまだまだ大丈夫のようだ。
 
ーーもしもあの子ともしもしてたら。
こんな風に使えるところを見ると、この言葉は意外と便利なのかもしれない。大事なところをデリケートに守ってくれている。しかし最初にも言った通りこの言葉が非常に危険な言葉であることに変わりはないし、やはり使いこなすためにはもっと練習が必要だと思う。
 
「最近もしものことを考えると、辛くてなかなか起きられないんですよね。かと言ってもしもが無くなったら遊ぶもしもが無くなってしまいますし、大好きなベビースターも買えなくなって悲しくなってしまうじゃないですか。もしもを辞めても、もしもさえ銀行にたんまりあればいいんですけどね。ハハハ。」
 
 毎晩どこかの居酒屋で繰り広げられているようなこのトークもどこか間抜けな感じになってなかなか良い。
 
「最近もしもがもしもに向かってミサイルを発射するなどと不届きなことを繰り返しておりますが、大変ふてぇ野郎です。しかし、もしもでは戦争問題よりも芸能人のもしも問題の方がニュースとしては大々的に取り上げられております。まったくもしもはもしもですね。皆様におかれましてはもしもの際に備えてもしもの準備を忘れずに。」
 
 こうみるとどこか別の世界での事のように聞こえるから不思議だ。これはもうやみつきキャベツ。どうか本当にもしもであって欲しいと願ってしまう。どうでもいい事だけれど病み付きキャベツを漢字で書くと途端に食べる気が失せてしまうということに気が付いてしまった。このように人間は突然どうでもよい現実に引き戻されるなんてことが良くあるし、すぐに興は冷めてしまう。飽きる事は怖い。
 
「もしも・もしも・もしも by 村上もしも」たまにはもしもで踊ればいい。「もしも by もしも漱石」が疲れたら「もしも記念日 by もしも万智」みたいに静かに自分を見つめ直すというのもなかなかもしもな事かもしれない。
 
 正直なところ自分でも何を言っているのかよくわからない。いや、嘘だ。もしもには自分の一番逃げたい理想が詰まっている。頭の中がもしもで溢れている。もしも、もしもが溢れてしまったら人間は一体どうなってしまうのだろう。
 
「もしもは使用上の注意をよく読み用法用量を守って正しくお使いください」
 
 ふとつけたテレビに流れるテロップ。
 

子供ピストル

この記事の所要時間: 1 25

子供の頃、銃の音と言えばバッキュンバッキュンだった。みんながバキューン、バキューンなどと言っていても僕はバッキュンバッキュンをやめなかった。ズキューンという奴にはそれガンダムじゃんかなどと文句さえ言っていた。ずっとバッキュンバッキュンだった。思えばテレビをあまり見たことがなかった。

バッキュンバッキュンがおかしいと気づいたのは小学校になってからだ。バッキュンバッキュンだと連射できない。バキューン、バキュンバキュンバキューン。このパターンだと4発まで連射できる。バッキュンバッキュンをやめた時、周りではダダダダダッ、ドゥルルルルなどという奴らが出始めていた。機関銃の真似をしていたのだ。僕は一度覚えたものをそうやすやすと手放したりはしない子供だった。みんながどんなに巻き舌で唾を飛ばしまくっていてもバキューン、バキュンバキュン、バキューンに夢中だった。いつかダダダダッ、ドゥルルルルを使う日もくるだろうと思いながら。しかしそんな日は残念ながら訪れなかった。みんなそんな遊びをしなくなってしまったからだ。そんなことを考えていたことさえいつしか忘れた。

今思えば大人になるにつれて僕が聞く銃の音はどんどん変わっていったように思う。スパイは防音装置を付けてプシュッなんてビールを開けるみたいな音を出し、戦争の音はパパパパパパパパンと壊れたクラッカーのような音をジャングルに響かせていた。

「バキューン」
今、僕は君の小さな人差し指に撃ち抜かれた。どこか懐かしいあの音で。

「プシュッ」小さな銃口を見ながらビールを開ける。君が大きくなっていくこの世の中がどうか平和でありますように。

チャーハンは少ししょっぱい

この記事の所要時間: 1 40

 国語が苦手な子供にとって詩の授業などというものは苦行以外の何物でもないのかもしれない。自分は国語ぐらいしかマトモな点数など取ったことが無いので、まさか自分の子供が国語嫌いになるとは思ってもいなかった。

 子、曰く。詩というものは「書けぬ、判らぬ、なんじゃこりゃぁぁ。うがぁぁ、こうなったら謀反したる。幕府爆発バイオレンス即爆発」だそうで。流石に一人の親として「そんな性急なことをしてはいけないよ。平和大切。ノー・モア・ウォー」と諭すことにした。

 しかし代替案なしに平和条約など結べない。仕方がないので「じゃぁライム、連想、繰り返しなどを使ってみるというのはどうだろう」などと表面から詩を攻略してみることを勧めた。するとまぁこれも当然だろう、例を寄越せと言う。実は自分も他人にわかってもらうような詩を書くことは苦手なのだ。

『ぎょうざ、チャーハン、かぁちゃん』

 突然ひらめいたこの言葉を子に告げた。なんだこりゃ。なんてことない言葉が妙に頭にこびり付いてくる、リフレインしやがる。

 お世辞にも裕福とはいえなかった自分にとって母の手作り餃子というものは、どんな珍味だろうがステーキだろうがいらねぇ、俺はいらねーからあの餃子食わせろ、なんてものであり、そこに好物の炒飯。これはもう明らかにやり過ぎている。もう二度と手に入らないものに限ってありありと思い浮かびやがるくせに限りなく遠い。

 自分の内面を子供によって気づかせられるようなことがわりとある。そんな時、子供は大抵「自分はなにか良く分からないものを目にしているのだ。それだけはわかっている」という事をこちらにアピールするかのように首を傾げる。きっとその通りなのだろう。いつかこの子がこの言葉を思い出してはくれるだろうかなどと俺は迂闊にも思ってしまう。親のエゴだろうか。薄暗くて寒かっただろうあの台所が瞼の裏に浮かんぶ。

『ぎょうざ、チャーハン、かぁちゃん』

 子は次の例を寄越せという。

清らかな嘘

この記事の所要時間: 0 43

口紅のシャトルが銃の弾の形をしているという意味を最初に考えたのはいつだろう。

弾丸を火の中に投げ込むと爆発するらしいと聞いて、だとするならば口紅を火の中に入れても爆発するに違いないと信じた。

試したことはないが今でもなんとなく、そうに違いないと思っている。

コロンは毒。毒の霧を身体にまぶし嘘をまとう。きっと毒は嘘と相性が良いに違いないし、混ざることによって得体の知れない艶を生み出すであろうこともなんとなくわかっている。

なんの根拠もない、そんな風な憶測をどれくらい長い間してきたのかなど忘れた。ずっと前からしてきた気もするし結局は大人になってから考えるようになった気もする。

自らは毒に染まらずに化粧ができる。女とはなんと清らかなのだろう。

テキストに化粧をしてみたら、なんだかできの悪いグラムロックみたいだ。

二日六月

この記事の所要時間: 0 24

おはようございます。と言うか深夜なんですけれども。

大変残念なことに後一日でまた一つ年を取ってしまうという悲しい事実。

悲しさを吹き飛ばそうとキンドルにて販売している拙書アバラハウスを本日夕方5時まで無料にしてみました。
 
アバラハウス by 銀座愁流
 
すっかり告知を忘れていてこんな慌ただしい感じで申し訳ないです。
よろしくお願いいたします。

九日五月

この記事の所要時間: 0 43

 考えを述べているテキストに太字の強調を見かけると違和感を感じることがある。解りやすくするために付けているのだろうが思考の押し付けに見えてしまうのだ。強調したいのならば言葉でしてくれ。そんなときにふと浮かぶ「五月蝿」という言葉。なるほど良くできた言葉だ。

「永い言い訳」という映画を見た。強調が何一つ無い映画だった。だから全く五月蝿くない。物事と登場人物の時間だけが淡々と進んでいく。観る側が何を言わんとしているのか探さなければならない種類の映画のように思えた。

 そんなことをしてしまうものだから観終わった後、思考の中にちゃっかりこの映画の居場所がつくられてしまった。暫く調子の良い鍛冶屋は聞きたくないものだ。

 誰々の演技が上手かったとか下手だったとかそういう種類の映画では無い。

 この映画の主役は監督だと思う。

タンザニア

この記事の所要時間: 0 59

何飲む?

高校を卒業したばかりの俺にマスターはどの珈琲を飲むのか聞いてきた。豆の種類など分かるはずもなく、正直に聞くとどんな珈琲が飲みたいのか言えと言う。

あまりあっさりしてないものが飲みたい。

目の前に出されたのはタンザニアという豆の珈琲だった。

ミルクも砂糖も入れず飲んでみると透き通った珈琲の苦味と軽い酸味が口の中に広がった。喉を通り過ぎた後も珈琲の香りが消えない。なるほど珈琲って美味いなと思った。

幾度となく通ううちに珈琲屋のマスターは夢を売る商売だと思うようになった。マスターの話はいつも厭世的で何処と無く現実味を持っていなかった。そのくせ世の中なんとかなるということを身を持って体現している楽天家のようなところもあり、そんな彼の話を聞きに来る客も少なくないようだった。

あれから色々あった、月日も流れた。けれどあの初めての珈琲の味は今もハッキリと残っている。

ありがとうマスター。遠い異国の地であなたの死を受け止めている。今でもあなたを思い出す度にあの珈琲の記憶が蘇るよ。

叔父の淹れる珈琲を超えるものはまだ飲んだことが無い。

蜂蜜秘密

この記事の所要時間: 0 34

さぁそこをまっすぐ通り抜けて
余計なところは絶対に触らないでください
右の壁は敏感で左の壁は不用心です
溢れそうになった所をそおっと指で掬うのが美味しいのです

ほうらそこは駄目だと言ったでしょうに
もとの道に帰って下さい
そうですそこで良いのです
そうですそこがいいのです

ほらほらそこは舐めてはいけませんよ
息を吹きかけてもいけませんよ
ここは酸素が薄いのでとても胸が苦しいのです

全く悪い人ですね
全然言うことを聞かないじゃありませんか
貴方が何処に居るのかわかりますか

そこはわたしの巣なのです
はちみつのことは秘密ですよ

裏道メルヘン

この記事の所要時間: 1 16

 ふっと入ってしまった横道にはなんだかよく分からない標識があった。

「行き止まりません」
 行き止まりがあるというのならば解るのだけれど「ない」とは一体どういう意味なのか。表通りから見えたビニールのひらひらが垂れ下がる三輪車のせいで、ついつい寄ってしまったこの小道。実際なんだか少しおかしい。

 乾電池の自動販売機。錆びついた家族計画。庭先に見える二層式洗濯機。ホーローの看板。なんだか懐かしい物ばかりが並ぶ。もっと見たくてついつい奥へ吸い込まれてしまう。こんな辺鄙な所にある丸ポストなんて一体全体誰が回収に来るというのか。
 塗装が剥げた井戸のポンプ。緩んだ電線の木が痩せた電信柱。ミリンダ自販機。アナログアンテナ。屋根上にあつらえた干し場。
 覗き窓がくすんだガチャガチャの銀盤には二〇円とだけ書いてある。煮物の香りはするくせに人のいる気配がしない。ラジオの雑音にのった妙な抑揚の男性の声だけがどこからか聞こえてくる。これはいささか良い道を見つけた。まるでセピア色の小道ではないか。

 あっという間に通り抜けると、そこいつも良く知る大通りだった。見上げれば日陰を作るためだけにあるようなビル街。もうそろそろ昼休憩も終わるはずだ。少し遠回りになってしまうので来た道を戻ろうかと振り返ると、果たしてそこには道などなかった。行き止まれないとはそういう意味だったかと合点がいく。

 たまには化かされるのも悪くない。僥倖、僥倖、べりーらっきぃ。