Monthly Archives

4 Articles

text

もしも注意報

Posted by ginzasur on
この記事の所要時間: 2 43
「もしも」などという言葉のせいでAくんとBくんは何故か向かい合って、それぞれ時速数キロメートルで歩いたりしなければならなくなってしまった。もしものせいで余計な計算をしなければならなくなった子供達はめでたく算数嫌いになりヒャッハー。夏休みの宿題がなぜか最終日まで残る問題が発生する。なるほど、もしもという言葉は甚だ危険な言葉だ。もしもが無ければ「AくんとBくんが昨日会いました」だけで終わっていただろうに。
「もしも」という言葉には物事を複雑にし、考えることを放棄させるという不思議な性質があるのかも知れない。
 
 もうだいぶ昔のことなので忘れてしまったけれど、たしか「もしもは他の三文字の言葉と変えて良い」というありがたいお言葉がインドの経典に書かれていた筈だ。上から読んでも山本山、下から読んでももしも。やはり自分の記憶力はまだまだ大丈夫のようだ。
 
ーーもしもあの子ともしもしてたら。
こんな風に使えるところを見ると、この言葉は意外と便利なのかもしれない。大事なところをデリケートに守ってくれている。しかし最初にも言った通りこの言葉が非常に危険な言葉であることに変わりはないし、やはり使いこなすためにはもっと練習が必要だと思う。
 
「最近もしものことを考えると、辛くてなかなか起きられないんですよね。かと言ってもしもが無くなったら遊ぶもしもが無くなってしまいますし、大好きなベビースターも買えなくなって悲しくなってしまうじゃないですか。もしもを辞めても、もしもさえ銀行にたんまりあればいいんですけどね。ハハハ。」
 
 毎晩どこかの居酒屋で繰り広げられているようなこのトークもどこか間抜けな感じになってなかなか良い。
 
「最近もしもがもしもに向かってミサイルを発射するなどと不届きなことを繰り返しておりますが、大変ふてぇ野郎です。しかし、もしもでは戦争問題よりも芸能人のもしも問題の方がニュースとしては大々的に取り上げられております。まったくもしもはもしもですね。皆様におかれましてはもしもの際に備えてもしもの準備を忘れずに。」
 
 こうみるとどこか別の世界での事のように聞こえるから不思議だ。これはもうやみつきキャベツ。どうか本当にもしもであって欲しいと願ってしまう。どうでもいい事だけれど病み付きキャベツを漢字で書くと途端に食べる気が失せてしまうということに気が付いてしまった。このように人間は突然どうでもよい現実に引き戻されるなんてことが良くあるし、すぐに興は冷めてしまう。飽きる事は怖い。
 
「もしも・もしも・もしも by 村上もしも」たまにはもしもで踊ればいい。「もしも by もしも漱石」が疲れたら「もしも記念日 by もしも万智」みたいに静かに自分を見つめ直すというのもなかなかもしもな事かもしれない。
 
 正直なところ自分でも何を言っているのかよくわからない。いや、嘘だ。もしもには自分の一番逃げたい理想が詰まっている。頭の中がもしもで溢れている。もしも、もしもが溢れてしまったら人間は一体どうなってしまうのだろう。
 
「もしもは使用上の注意をよく読み用法用量を守って正しくお使いください」
 
 ふとつけたテレビに流れるテロップ。
 
text

子供ピストル

Posted by ginzasur on
この記事の所要時間: 1 25

子供の頃、銃の音と言えばバッキュンバッキュンだった。みんながバキューン、バキューンなどと言っていても僕はバッキュンバッキュンをやめなかった。ズキューンという奴にはそれガンダムじゃんかなどと文句さえ言っていた。ずっとバッキュンバッキュンだった。思えばテレビをあまり見たことがなかった。

バッキュンバッキュンがおかしいと気づいたのは小学校になってからだ。バッキュンバッキュンだと連射できない。バキューン、バキュンバキュンバキューン。このパターンだと4発まで連射できる。バッキュンバッキュンをやめた時、周りではダダダダダッ、ドゥルルルルなどという奴らが出始めていた。機関銃の真似をしていたのだ。僕は一度覚えたものをそうやすやすと手放したりはしない子供だった。みんながどんなに巻き舌で唾を飛ばしまくっていてもバキューン、バキュンバキュン、バキューンに夢中だった。いつかダダダダッ、ドゥルルルルを使う日もくるだろうと思いながら。しかしそんな日は残念ながら訪れなかった。みんなそんな遊びをしなくなってしまったからだ。そんなことを考えていたことさえいつしか忘れた。

今思えば大人になるにつれて僕が聞く銃の音はどんどん変わっていったように思う。スパイは防音装置を付けてプシュッなんてビールを開けるみたいな音を出し、戦争の音はパパパパパパパパンと壊れたクラッカーのような音をジャングルに響かせていた。

「バキューン」
今、僕は君の小さな人差し指に撃ち抜かれた。どこか懐かしいあの音で。

「プシュッ」小さな銃口を見ながらビールを開ける。君が大きくなっていくこの世の中がどうか平和でありますように。

text

チャーハンは少ししょっぱい

Posted by ginzasur on
この記事の所要時間: 1 40

 国語が苦手な子供にとって詩の授業などというものは苦行以外の何物でもないのかもしれない。自分は国語ぐらいしかマトモな点数など取ったことが無いので、まさか自分の子供が国語嫌いになるとは思ってもいなかった。

 子、曰く。詩というものは「書けぬ、判らぬ、なんじゃこりゃぁぁ。うがぁぁ、こうなったら謀反したる。幕府爆発バイオレンス即爆発」だそうで。流石に一人の親として「そんな性急なことをしてはいけないよ。平和大切。ノー・モア・ウォー」と諭すことにした。

 しかし代替案なしに平和条約など結べない。仕方がないので「じゃぁライム、連想、繰り返しなどを使ってみるというのはどうだろう」などと表面から詩を攻略してみることを勧めた。するとまぁこれも当然だろう、例を寄越せと言う。実は自分も他人にわかってもらうような詩を書くことは苦手なのだ。

『ぎょうざ、チャーハン、かぁちゃん』

 突然ひらめいたこの言葉を子に告げた。なんだこりゃ。なんてことない言葉が妙に頭にこびり付いてくる、リフレインしやがる。

 お世辞にも裕福とはいえなかった自分にとって母の手作り餃子というものは、どんな珍味だろうがステーキだろうがいらねぇ、俺はいらねーからあの餃子食わせろ、なんてものであり、そこに好物の炒飯。これはもう明らかにやり過ぎている。もう二度と手に入らないものに限ってありありと思い浮かびやがるくせに限りなく遠い。

 自分の内面を子供によって気づかせられるようなことがわりとある。そんな時、子供は大抵「自分はなにか良く分からないものを目にしているのだ。それだけはわかっている」という事をこちらにアピールするかのように首を傾げる。きっとその通りなのだろう。いつかこの子がこの言葉を思い出してはくれるだろうかなどと俺は迂闊にも思ってしまう。親のエゴだろうか。薄暗くて寒かっただろうあの台所が瞼の裏に浮かんぶ。

『ぎょうざ、チャーハン、かぁちゃん』

 子は次の例を寄越せという。

text

清らかな嘘

Posted by ginzasur on
この記事の所要時間: 0 43

口紅のシャトルが銃の弾の形をしているという意味を最初に考えたのはいつだろう。

弾丸を火の中に投げ込むと爆発するらしいと聞いて、だとするならば口紅を火の中に入れても爆発するに違いないと信じた。

試したことはないが今でもなんとなく、そうに違いないと思っている。

コロンは毒。毒の霧を身体にまぶし嘘をまとう。きっと毒は嘘と相性が良いに違いないし、混ざることによって得体の知れない艶を生み出すであろうこともなんとなくわかっている。

なんの根拠もない、そんな風な憶測をどれくらい長い間してきたのかなど忘れた。ずっと前からしてきた気もするし結局は大人になってから考えるようになった気もする。

自らは毒に染まらずに化粧ができる。女とはなんと清らかなのだろう。

テキストに化粧をしてみたら、なんだかできの悪いグラムロックみたいだ。