ケルベロス

この記事の所要時間: 1 42
 やぁやぁ、こんにちは。一つだけ聞いてみたいのだけれど一体全体何故お前は俺の胸に巣食うのか。固形でもないくせにまるで癒着でもしているかのように胸の中央にガッチリと居座るのか。俺はお前が誰しも内に秘めているものだということを知っている。だからってそんな所に固まる必要はないではないか。指先の毛細血管のその又先まで、体中に満遍なく霧散していればよいではないか。一体全体何故にそんなふうに一箇所に固まろうとするのだ。
ーー悪意よ

 何をしてもお前のせいで、自分が悪なのではないかという罪悪感に囚われてしまう。自分の考えが誤ってるのではないかと思ってしまう。俺にとって悪意の反対は善意ではない。共存でありバランスなのだ。お前と上手く付き合えるならばそれで良い。お前を追い出そうなんて考えない。善意なんてものでお前と争う気など初めから無いのだ。世の中がつまらない。そんな風に思う事もあるだろう。しかしそれを毒づいて他者の気分まで悪くすることに一体何の意味があるというのか。同調を求めれば救われるのか。

 俺は善意なんてものはお前が作り出す影なのではないかと思っている。悪意があるからこそ覆うべき何かが必要で、それに誰かが名前を付けただけなのではないか。俺が言葉を覚えたとき、お前は善意よりも先に既に俺の中に居たような気がする。実は善意もお前そのものなのではないのか。

 悪意よ、其の存在を具現化することなかれ。宿主の願いを聞き入れ給え。お前が思い知らしめようとさせる憂いなど、お前が居なくたって気付くことはできるのだ。それをお前のせいになどしたくはないのだ。今はお前に話しかける余力すら残っている。己を否定することなかれ。悪に染まる事なかれ。偽善者も偽悪者もいる世の中で生きていく。自身を見失わずに生きて行く。善意と悪意と自分自身が心を喰らい尽くさぬように手懐けながら。

 胸に腕を突っ込んで悪意を引きずり出す。握り潰してまた戻す。手にこびり付いているのはコールタール。重油の臭いが鼻につく。

狐祭り

この記事の所要時間: 1 33

夏祭りの社。

橙色の提灯の明かりがボンヤリと屋台道を照らしている。
ふと見ると狐の面がこっちを見ていた。
少し神経質そうな後ろ姿をした男が立ち止まる素振りもなく歩いている。
そんな男の後ろをちょっと離れて付いて行く南天柄の白い浴衣の女。
狐の面は女の後ろ手にひょいと乗ってこちらを見ていた。

突然女は男の浴衣の袖を引っ張り足を止めさせる。
大正眼鏡を掛けたとても気難しそうな男の横顔が見えた。
どうやら女に林檎飴をねだられたらしい。
渋々という言葉はこんな時のためにあるかのように男は懐から財布を取り出すと、林檎飴を女のために買った。

女は無邪気に喜んで林檎飴を受け取るとペロリとそれを舐めた。
白い浴衣に南天の赤が映える。赤い林檎飴は屋台の明かりで光っている。狐面の赤い隈取が更に鮮やかさを増した気がした。

男が何やら店番と話している間に女がこちらの視線に気付いてしまった。
びっくりするほど白い綺麗な顔の上で赤い口紅がニッコリと笑う。
なんだろうこの違和感は。目を逸らせたいのに逸らすことが出来ない。

男は話が済んだらしくまた歩き出した。
女は林檎飴を持った手でひらひらとこちらに手を振るとぴょんぴょんと跳ねるように男の後をついて行ってしまった。
なにかに化かされたように取り残された自分にふっと意識が戻ってくる。
夏祭りに浮かぶ白い浴衣。南天、口紅、林檎飴。
赤と白のなんだかクラクラする意識の中で一つのことだけがはっきりと浮かんだ。

あの男は喰われるのだ。
浮かんだ言葉の恐ろしさに「ヒェッ」と声が出そうになるのを堪えると遠くを行く狐の面がニコリと笑った気がした。

祭りが盛り上がってきているのだろう。
大きくなるお囃子の音だけがたった今起きた不思議な出来事を掻き消そうとしていた。

夜中にロックを聞くとロクな事を考えない

この記事の所要時間: 1 40

 一生懸命ヘタ上手に生きたいと思っているくせに全然出来ていなくて唖然とする。人からそれなりに好かれてそれなりに嫌われないように生きたいとか考えてしまったりする。

 逃げだと思う。もう自分がグルグル独りよがりで回って、周りが呆れてるのにも関わらず回り続けて、いつの間にか周りも巻き込んでグルグルいきたいと思う。他人に迷惑をかけるのはあまり好きじゃないから自分に付き合ってくれる人達のところを探してグルグル回っていきたい。兎に角集中して回っていれば、いろんな人に弾かれたり進みやすいところに紛れ込んだりできるだろうから、結局丁度いいところに収まっていくような気がする。回らなくちゃいけない。ヘタに器用になるときっと回れなくなってしまうから自分の信じる回り方を持たないといけない。曜日が分かるようじゃダメだと思う。日付もわかるようじゃダメだと思う。自分で計算できちゃダメだと思う。

  などと考える時があるんだけど少しだけ合っていてもの凄く間違っているのだろう。もう自分の声が後ろから追っかけてくるくらいのスピードで生きていきたいと思う時もあったりするけれど、家族がいたり友達がいるから死に急いじゃダメだと思うし、まぁゆっくり行こうかって思って笑ってしまう。そうだ長生きしよう。  でもこんな風に考えられる時は自分にとっては凄くいい時で、なにかやりたいことが見つかってるからきっと葛藤してるんだろう。なんだ幸せじゃないか。そしてたったこれだけのことを考えるのにも色々自分の中に矛盾があることに気付き、あぁ俺も人間だなぁと実感する。人に説明するときは筋道をたてようとするくせに内面は矛盾だらけでごちゃごちゃになっているのが凄く面白い。きっと悩んでしまう人は内なる矛盾が許せなくなってるだけなのかもしれないと考えてみたりする。

 あんまり難しいことを考えると疲れてしまうから、たまにボーッとして自分がまだ人生の旅路の途中だって思い出す事にしている。
  まだ全然終わってない。

アバラハウス

この記事の所要時間: 1 44

 自分にとって今までで一番居心地の良かった場所って何処だろう。絵描きの仲間たちと過ごした築30年2K共同トイレ風呂無しアパートも好きだったけれど、俺にとってはあらたくんの家が最高だった。あらたくんは8畳1K風呂無し築30年家賃8000円の部屋にカセットが動かないCDプレーヤーと沢山の山積みされたCDと素敵な彼女と住んでいた。色褪せた畳は縁が黒い布製で、傷やほつれやタバコの焦げ跡、消えない口紅の汚れが付いていた。部屋には家具などなんにもなくて、せんべい布団が敷いてあるだけだった。良く電気も止まっていたし、ブラジャーが転がってたり、男と女の匂いがしたり、よくも誰もいないあの部屋に1人で遊びに行ったものだと呆れてしまう。あそこには玄関がなくて窓しか無かった。玄関みたいな扉も確かにそこにはあったけれど、あらたくんに「開けるな」と言われたので俺は一度も開けたことがない。俺は家人が居ない時も、いつも開けっ放しのサッシから勝手に部屋に上がり込み、ボーッと考え事をしたり、詩を書いたり、山積みのCDの中からブランキーを探して聞いたり、目の前30センチくらいに作り出した丸い煙を見ながらタバコを吸うのが好きだった。

 とても昔のことなのであの部屋はなくなってしまったと思う。あの部屋が大好きだった俺は、頭の中に完璧に再現することができるのだけれど、実際にどうやったらあんなにヤバくて居心地のいい感じを出せるのかが分からない。そんなことを考えていたら、ふとあの玄関は開けたら大人になってしまう扉だったのかもしれないと思えてきた。あらたくんは開けてしまったのだろうか。

 あぁ。居心地のいい場所について書いていたんだった。昨夜焼酎のおかげで酩酊した俺は、あの部屋で物を書けたら最高だなと気付いてしまった。善は急げと思い立ち、頭の中に早速あの部屋をつくりあげて「アバラハウス」と名付けてみた。何か書くときにはここにいます。物好きな方は遊びに来て下さい。玄関はいつも開いています。閉まっているときなど滅多にありませんが、もしもの時はお察しください。