去年の十一月くらいに全く書くネタが見つからない時があった。それは今でもあまり変わらないのだけれど。

そんな時目にしたのがツチヤタカユキというハガキ職人さんの名前だった。オードリーのオールナイトニッポンにネタを送り続け若林氏に見出されて構成作家見習いとして東京へやってくる話だ。そこに至るまでに若林氏が宿泊費、交通費まで負担してツチヤ氏をお笑いのライブに招待するとかTVの若林氏からはあまり想像がつかない一面も見れて面白い。
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高校時代友だちがいなくてあまりにも暇だったので、朝大喜利のお題を50個ほど考えて、1時間目から6時間目まで解き続けたり、誰のためにでもない漫才やコントのネタを書き続け、120本ストックしていた。
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こんな話や他にもあるエピソードを聞くと確かに普通の社会人になるよりもお笑いの道で職を得る方が幸せな気がしてしまう。「人間関係不得意」というのが彼の枕詞なのだけれど、本当に苦手そうでとてもじゃないけれど普通に生活ができるとは思えない。結局ツチヤ氏は傍から見たらこの上なく期待されている環境を些細な理由で捨てて大阪に帰ってしまう。そんな無茶苦茶な彼だけれど最近また取り上げられている。既にかなりのファンの人がいるようで楽しみだ。人間が成っていないと言う人もいるかもしれないがそういう欠けている人だからこそ面白いのだと思っている。

小説「火花」もそうだったけれどお笑い芸人さんの表と裏というのはとても興味深い。表に出ていることと間逆な事実が多いところが面白い。身近に居たら絶対に楽しくないような人が面白い。お笑い以外でこの人生きていけるのだろうかと心配になってしまうような人が面白い。

そう考えると面白い人は楽しくない人なのかもしれない。

誰かに面白いと言われたらきっと自分は楽しくない奴で、つまらないと言われたらきっと楽しい奴なのかも知れない。
なにもかもが面白くないと面白さばかりを求めているような時は楽しくない人間になってしまっていて、楽しいことばかり探している時は面白い人間じゃなくなっているのかも知れない。

ポジティブに考えれば人間は面白い奴か楽しい奴かのどちらかだということになるし、面白い人か楽しい人のどちらかになれるならば自分はどちらでもいい。

結局どうでもいい事をまた書いてしまった。
やっぱりどうでもいい事を書くのが好きなのだ。