あなたはお口が悪いですねみたいな事を言われた。口の形ではない。
どうやら表現がよろしくないらしいのだ。

これは非常に困った。例えば心にもない企みを言ったり(あるけど)、不意に思いついた悪口を言ってしまったり(わざとなんだけど)、そんなことばかりをやっていたら只の偏屈爺になってしまい、村八分になってしまう。島流しの刑に処され、食べるものもなく、椰子の木の実を得るために木に登ろうとしたものの途中で落下、腰を骨折。痛い痛いと泣いてまう。きっとそうなるに決まっている。想像しただけで痛いし椰子の実の取り方を調べてしまいそうだ。

ところがどっこい例外というものは何処にでもあるわけで「悪口なんて言ってませんよ。こういう意味だったんですよ」なんて言ったって所詮嘘。だったら認めてしまった方が百倍良いというケースが有る。不意に出た毒舌も否定してしまっては只の陰険。全てを認め「だってそう思うんだから仕方がないじゃん」と言ってしまうほうが好感度が上がるという現象もある。
この悪口を言ってしまった時に結果オーライなことがあったり、毒舌を認めることで場合によっては好感度が上がる性質を自在に操ることができれば普通に生きるよりもハッピーライフが待っているのではないか。そんなの魅力的に決まっている。
毒舌おっけぃでーす。

しかしここで問題になるのが加減というもので、特に一対一よりも一対多のそれは相当難しいだろうと思う。いい人ぶるより余計気を使わなければいけないこともあるし一人で反省するときもあったりするかも知れない。こんなことなら偽善者ぶって猫を被ったほうがよっぽど幸せじゃねぇのとか一瞬思ったりするかも知れない。元はといえば人に気を使わないほうが幸せのはずだと言うところから始まっているのだから矛盾を感じるかも知れない。そんな事を考えて浅はかに生きようとしたくせに結局何も変わらず挙句の果てには陰口を叩かれたり変に誤解されて羨ましがられるなんて事もあるのかも知れない。

何故「かも知れない」ばかりが続くかと言うと決して自分のことではないからだ。正直良くわかんねーなと言う感じ。イメージというのは払拭するのが難しい。船底に付いてる食べれないくせになかなか取れない貝に似ている。

読み返すと確かに自分は少し口が悪い気もしなくもない。だけど言葉遣いを改めるよりもこのまま周りに諦めてもらったり、この言葉遣いに感染してもらう方がよっぽど早くて楽な気がしてくるから不思議。

みんな毒舌になぁれ。