クズでありたい。誰の何も役に立たない人間でありたい。まったく役に立たないものは役に立たない代わりにそこにあっても良い時がある。
下衆にはなりたくない。下衆は人として最低なことをいともたやすくやりやがる。そこにはモラルもクソもない。ただ下衆という存在があるだけだ。下衆は存在悪であり続ける。
清い川には魚は住めない。そもそも魚は嫌いであまり食べないんだけれど。だから清い人を見ると俺は居場所を探してしまう。岩の影を探してしまう。でもクズならば良い気がする、そんなところにさえも居ていい気がする。自分の場合まっとうな行動ないしは高い評価などが続いてしまうとまぁ息が詰まってしまう。俺は只の偽善者だし女の裸や卑猥なことばかり考えている変態だのにとか思ってしまう。こんな風にしか思えないのはなにかの罰かなにかなのだろうか。
俺はテキストが好きな人は皆クズだと思っている。この人は清いなぁと思う人の定義は日々の生活に家族や仲間のことだけを考え、そこにひたすら時間を使い真っすぐ生きていける人。そういう意味で愚直である人。絶対無理。でもテキストが好きな人は余計なことを沢山考えている。要は人生でムダも楽しんでいる人なのだ。いいじゃないか。
最近面白いなぁと思うのがあれなんかこの人テキストが変わったって人がすごくいる。なにか考えを変えたのかしらとか思える人までいる。こんなことを言ってみると、あーこれはまさしく自分のことだーとかいって悶絶する人がいそうで申し訳ない。でも言っちゃう。あなたのことです。気づいています。へへへ。言っちゃった。ぜひ悶絶して欲しい。俺も読んでいてなんだこの人すげーとか悶絶してたりしています。もうここが心の拠り所みたいな人。是非どろどろした内面を吐き出して書き続けて欲しい。そしてそれを見て救われる人。あぁ俺だ。落ち込んで私はどうしようもないとか言っちゃう人。えーいいじゃん。だってどうせクズなのだから。
子供の頃から周りに言われなくとも本を読むのが好きだったのは、ただ単に本の世界が現実にない魅力を沢山持っていたから。そのくせ大人になると手のひらを返したようにあいつは本ばかり読んでいるとか非難されたりする。自分の子供にはもっと本を読めとか言う人達に。バカか、本は麻薬なのだ。それも強烈な。こっちは子供の頃から1ミリたりとて変わっちゃいないのだ。ここにいる人達は何度も言うがテキストが好きなんだと思う。だからまともな人のワケが無いと思っている。下衆でなければいいじゃないかと思ってしまう。
あぁクズ最高。
しかし何でこんなことを書いているんだ俺は。遂に気でも狂ったのか。なんて反省してみたりもちょっとするけれど、まぁ言いたいことは言えてるんじゃないかなと思っていたりなんかする。

クズでありたい。